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感情だけでは町は守れないが、感情から発生する行動は、なににも勝る。

もしかするとぼくは悲観的に考えすぎなのかもしれないが、日本の田舎の一般的な小規模農家の米づくりはあと5年から10年くらいで終わりを迎えるかも知れない。
それどころか、人口の都会への一極集中により過疎が加速する中山間地の地域は、そもそも町としての体をなさず消滅していく事実が、実際に進行している。

ぼくらは、京都府南丹市美山町という地域に住み、そういった問題に対応すべく試行錯誤しながらも自転車を軸に、様々な地域振興の種まき活動をおこなっているのだが、こうしたぼくらの活動のやり方が、正しいのかどうかなど、わからないのが実際だ。
なぜならわれわれは、ここまで猛スピードで進行する人口減少と町の収縮を経験したことがないからだ。

これまでのまったく違う考え方、価値の置き方で、米づくりをとらえ直す時が来たのではないかと、たねもみプロジェクトという米づくり活動を通じ、ぼくは主張してきた。

もしかしたら、その僕らの主張は、実際の米作農家から見れば、笑い飛ばされるようなものかもしれない。それよりもしかしたら先輩農家からお叱りを受けるようなものかもしれないが、今の日本、国を挙げて大量の補助金つぎ込んでもなお、今の危機的な農地保全の状況が改善していないとしたら、そもそも米づくりをとりまく手法や考え方そのものが、間違ってたんじゃないかと考えてみてもいいのではないだろうか。

確かに機械化やIoT化は素晴らしい技術だが、これら技術革新は農作業の手助けはできても、この国が何百年と続けてきた農耕文化の本質的な基盤にはなりえない。
農業は本来コミュニティで行う作業だと思うからだ。

実際、多くの農家は「じゃあどうしたら良いのか」という答えを見つけ出せていない状態で、ただ悩み、そして問題を先送りするだけ、という田舎の農事組合は多いはずだ。

例えば、今の日本の農業に従事する人の中で、特に中山間地で昔ながらの農法を取り入れている人は、あくまで推測なのだが、そのほとんどが、その土地に魅力を感じて移住してきた人ではないか。
彼らは、自然と共生する生き方を自ら学び、選んだ人たちであり、古来からある「農」を通じた生活に価値を感じている人たちだ。

しかし、実際に田舎に住んで、それを体現しようと思っても、彼らの生き方や、ものの考え方、人生観、またそうした人材が選択する昔ながらの農法が、必ずしも田舎の町で認められるとは限らない。
そうした移住者の感覚は、田舎では「異端」以外のなにものでもないというのが、よくある現実なのである。

過疎や環境破壊から日本の宝である田舎を救うのは、新しい考え方ではなく古くからある知恵であり、そこから現代的にアレンジし、ブラッシュアップされた「実践」そのものではないかと思う。

このままでは、農業、特に米づくりに未来はない。
未来のないところに、人は集まらない。
つまり、水田が日本からほぼ消えるときが、町が消えるときだと危惧する。

そのためにも、なぜ移住者この町を気に入って移住してきたのか。
その彼らの思いと夢を、もとからの住民がしっかり受け止め、その希望のエネルギーを、調整しながらでも新しい活力に変換することが必要となってくるだろう。

そのために今、やる気と情熱をもった移住者の気持ちをしっかり受け止める度量の深さと、変化を恐れない柔軟性が、地元の田舎の人に求められているのだ。
出来ない理由を並べ立てることが、町の未来を守ることではないのだ。

自分たちの環境を後世に残す「未来への芽」を摘んでいるのが、先祖代々からの土地を守ってきた、その人たち自身でないことを、切に願う。


子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。