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マイケル・ジョーダンの言葉から学んだ、悩みを作らない方法

よく言う話で、物事は自分で「変えられること」と、「変えられないこと」に分かれる。

20代前半のある時、いろんなことで悩みまくっていたことがある。あまりにも解決策が見えず、手当たり次第に色々な策を試していた。

少しして冷静に考えてみると、(何かの本に書いてあったが)自分の悩みのほぼすべてが「変えられないこと」であったことに気がついた。


そこでの悩みを分類してみると、主には「生まれた環境」「自分が持って生まれたもの」の2つである。詳細は割愛するが、特に成人するまでは、どうしようもない「変えられないこと」によく悩んでいたように思う。

しかしこれらに固執してもしょうがない。もう一つの「変えられること」に目を向けるのである。変えられることは自分自身で克服ができる。


ここでアメリカ人の考え方を紹介したい。以前にブログでも書いたが、あのマイケル・ジョーダンの言葉である。

OUT OF MY WAY. YOUR FATE. I’M GOING THROUGH
(運命よ、そこをどけ。俺が通る。)

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なんとも力強く生きる彼の姿が想像できる言葉である。アメリカ人には開拓者スピリットがあり、運命・未来こそ、自分たちの努力で変えられると信じている人種である。私はこの考えが好きだ。

変えられる状況を理解しているのに、それを放っておくのはただの怠慢だ。会社組織であれば、課題を理解しているのに、みすみすそれを容認している状況とも言える。これはおそらく、働いてから誰しもが直面することだとは思う。

そして変えられることを一つひとつ(まず冷静に理解し)潰していけば、基本的に悩みは解消していく


私自身はよくポジティブと言われるが、自分自身を振り返って、ふと、大崩れすることがないのは、冒頭の件以降、少しずつ克服し、基本的に悩みがない(変えられないことで悩まない)からであると考えた。

どうしようもないこと、理不尽だと思うこと、そんなことは幼少期や10代の頃は比較的あったものだが、そういったことを経験するうちに、自分の中で抵抗力というのか、昔の困難に比べれば大丈夫、という自信がついたように思う。

どんなに想定外の悲しいことが起きても、上司にパワハラを受けても、恋人から振られても、それらは自分が最善を尽くしても起こることがあるものである。なぜなら、相手が絡んでいるから。相手とは、冒頭の「変えられること」と「変えられないこと」では、完全に後者なのである


そして、20代も後半になってきて、さらにもう一つのことを理解し、克服した。

それは、できる限り、何かに依存しないことである。依存とは、一本足打法のことであり、その生き方自体を否定するつもりはないが、冷静に見ると、十分にリスクヘッジができているとは言えず、生きている上では何かと不都合になることが多い。つまり精神衛生上の観点で言えば、避けるべきである。

私は元々極端に依存心があったわけでないが、ある時から「これがあれば大丈夫」といったものを意図的に作らないようにするようになった。恋人がいれば、家族がいれば、仕事さえうまくいけば、そういった考えは健全なものではないのかもしれない、と思うようになった。

いささか寂しい考え方と思う方もいるかもしれないが、結局、人は独立した存在であるべきなのである。

なぜなら、人生とは想定外の連続であり、時に自分にとって不可避なことが起こるからである(それは結果的に後々は意味があることなのだけれど)。


そんな時、少なからず依存心があると、人は大崩れしうる。私はこのことを、アメリカ駐在時代にニューヨークで出会ったある方の生き方から学んだ。

私と同年代であるその方は、何があっても精神的に強く、決してぶれないのである。愚痴などをこぼさず、常に前に向かって成長している。その人の生き方をとてもリスペクトし、その生き方を知ろうと私なりにずっと考えた結果、その人には依存心というものがまったくないことに気づいた。


変えられること」にフォーカスし、一つだけの存在に依存しないようにする。よく聞く話かもしれないが、精神的に弱ったときこそ、これらを思い返してみるのは良いことのように思う。

ただ、結局どう生きるにしても、明けない夜などなく、悩みとは遅かれ早かれ解消するものだと思う。それらを早く解消するため、何かに悩んだときこそ、向き合ってみるのはありな気がしている。

お読みいただき、ありがとうございました。

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