京都旅行 2023.5 興臨院(大徳寺)
昨年5月の京都旅行記の8回目。大徳寺の塔頭寺院訪問記としては3回目になります。
紫野にある大徳寺。
実に24もの塔頭寺院があります。
塔頭寺院の黄梅院、龍源院を訪問した後、興臨院を訪れました。
このお寺、通常は非公開。
この時は、春の特別公開で参拝できました。
降臨院は、室町後期に畠山家が建立したお寺。
畠山氏の菩提寺となるも、畠山氏は上杉氏に滅ぼされ没落。それに伴いお寺も荒廃したそうです。
しかしその後、天正9年(1581年)、加賀百万石の礎を築いた前田利家が方丈を修復。以降、前田家の菩提寺にもなりました。
表門は創建当時のもので、重要文化財に指定されてます。大徳寺山内でも有数の古い門とのこと。
表門の先にも重要文化財である唐門があります。
波型の連子窓(れんじまど)、花頭窓(かとうまど)などは、禅宗の建築様式なんだそうです。
花頭窓からは本堂や方丈前庭を望めます。
私には、この場所が一番印象に残りました。
本堂も重要文化財。屋根が近代の寺院より低いのが特徴で、これにより建物全体が優美で安定感があります。
内部は簡素で素朴なつくり。日本で最初につくられたという床の間がありました。(内部は撮影禁止でした。)
前庭は、中国の僧である寒山拾得が暮らしていた天台山の国清寺の石橋を模し、大石や松をあしらい、理想的な蓬莱の世界を表現しています。
このお庭は、昭和50年(1975年)に本堂を修理した際に「昭和の小堀遠州」と称えられる中根金作氏が復元したものです。
因みに、中根氏は金閣寺や銀閣寺などの庭園を修復したほか、あの足立美術館(島根県)のお庭も作庭した方です。
話を降臨院に戻しますが、回り込むと北庭があり、さらに先に進むと “へうげもの” 古田織部好みの茶室「涵虚亭」(かんきょてい)があります。
「涵虚亭」は、中国北宋時代の詩人である蘇軾(そしょく)の詩から名づけられたそうです。
前回も同じことを書いたのですが、この日は阪急電車の西院駅からバスに乗り換えて大徳寺に向かいました。バスの車内は「金閣寺道」まで大混雑。しかし、そこから先はガラガラ。
たまたまかもしれませんが、大徳寺でも参拝者は少なく、ゆっくりとお庭を堪能できました。
今回はここまでです。次回は同じく大徳寺の塔頭寺院である瑞峰院を取り上げます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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