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蘆屋家の崩壊 津原泰水

※自身がしているインスタグラムより転載してます。以下、ネタバレ含みますので読まれる際はご了承下さい。

最初に断っておくと、こちらは帯の文句でいくと著者の処女短篇集です。
で、全部は読めておりません。

それでも心動かされた一編があり、少しだけ。

内容の軸は、職業不安定というかフリーターの猿渡と、怪奇小説家の伯爵(あだ名)の二人が繰り広げる幻想夢想のお話。そして二人に共通するのが無類の豆腐好きという事。幻想怪奇でありつつ、美味しい豆腐を求めて何千里も辞さぬコミカルな二人のやり取りも癖になるかも?

この短篇集は、津原さんの著作の中でも群を抜く人気作だそうです。

私も著者が亡くなられてからですが、
どっかで見つけたら読んでみようかと思ってたら、よく通っている古本屋にしれっと売ってあり、あまりのタイミングの良さにちょっとビビった経緯があります。それはさておきで、最初の短編を読んだ感想は...自分的に好みじゃないなと思ったのが正直なところ。

稀に見る、軽くて美しい文章でうわっと思ったのはたしかでした。
それでもページを捲るスピードはどんどん落ちる感じでうーん...となり積読場所へ行きかけていたところ、最初から飛んで絶賛された最後の『水牛群』を読むと、これが抜群に面白かった。

内容は(ネタバレ)
猿渡くんは就職先で異様なパワハラ&モラハラを受け完全に精神を病んでしまったところから始まります。極度の不眠症で食欲低下。尚且つアル中に限りなく近い。
人間ならば食わねばならないと、蕎麦屋に入るが幻覚が出始めたのかホール担当の女の子を巻き込み、とうとう発狂に近い症状が出る。そして彼が朦朧とした中助けを求めるのが、一時はしょっちゅう行動を共にした「伯爵」であった...と言うのがあらすじ。

しかし伯爵は駆けつけてくれるものの、小説の仕事が忙しくて猿渡くんの面倒がなかなか見れません。
仕事の取材先に猿渡くんを連れて行く事にするのですが、猿渡くんは現実と幻覚の間を行ったり来たり...この現実と幻覚の境の描写は圧倒的。
本当に私は何を読まされているのか全然分からなくなってきます。
いつの間にやら水牛を捕らえる事に一生懸命になる猿渡くんも不思議なのですが、読んでいくうちに猿渡くんと一緒に何かが回復をしていくのです。

何が?と言われても分からない。
所謂、精神病からの回復なのかなと思います。

といっても私は今、別に精神を病んでる訳でもないのですが追体験のような気分になる感じです。

私はまだそこまで猿渡くん程追い詰められた経験はまだないのですが...いやありました。
世の中には悪意しか存在しないような世界、場所がある。

職場だと、そこにいる一人かまたは社員全員でもいい、他所から入ってきた人間を吊し上げて、面白がり、自身の異常さに気付かず人を傷付ける事を趣味にしているような、最悪な人間や集団が存在する。

間違っても自分のせいだと思ったり、自分が頑張れば認めて貰えると思ったりしてはいけない。

人間全てに良心があると思ってはいけない。
ならばなぜ人殺しがなくならないのか、虐めがなくならないのか、戦争や性犯罪がなくならない理由は一体どこにあるのかとか。
数多あるけど、それが世の中には必ずある。

猿渡くんは真面目で健全で、優しい人です。なのに仕事場が恐ろしく最悪だった。
周りは明るいのに、暗闇を歩いているかのような恐怖感。全く気持ちが休まらない。
彼のせいではないのに苦しんで死んだほうがマシだと思い込み、追い詰められていく。
そこで伯爵に連れられて向かった先で、彼はどんどん幻覚を見始めていく。

ふとここで思ったのが精神科医の中井久夫さんの事でした。
彼の某TV局の特集番組で、講義の内容は殆ど忘れてしまったのですが印象に残っているのがひとつだけあります。

それは解離が始まり、幻覚症状が出だすのは精神病の悪化ではなく、回復する過程、段階であるという言葉でした。

猿渡くんも幻覚を見始めて、幻覚のせいで身体が傷だらけ。
最後は満身創痍になってしまうのですが、気持ちは最初の頃よりマシになっているという不思議。

身体の傷はダイレクトに痛みを伴うけど、傷は生きていれば治るし、綺麗に治らなくてもそれは受け入れるしか術はなく、しかも慣れればそれを生かしながら生活は自然と出来るようになっていく。受入れる事への段階を踏めば
心の中も一緒なのかもしれない。

身体が回復すると必ず上向くし、気持ちも安定していく...
それの繰り返しが生きる事に繋がるという、なんとも奥行きのあるお話でした。

この本の最後に著者本人の解説が載っていて、この『水牛群』は著者が神経症を患い、猿渡くんの状態そのままで構想し、書いたそう。
不死身の猿渡くんに苦悶を肩代わりをしてもらいたかったそうで。
治療の為に書いた作品なのかもしれないと思うと、この作品の凄さは津原さんの自身を見つめる冷静な客観性と知性、体力だなぁと思います。

伯爵のキャラが多分、一番面白い作品集なのかもしれませんが(なんせ全部読んでないので)ラストに据えられたこの『水牛群』は遠回りしてもよいから自分の為に生きる事、というか生きる事しか出来ないのだから、少なくとも自分を大事にしろ。
著者の偏屈で、やっかいで、優しい短篇集なのかもしれません。
終わり。
#津原泰水
#蘆屋家の崩壊

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