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B Corpと「承継」|『B Corpハンドブック』編集者・矢代真也が本をつくりながら考えたこと

「B Corpムーブメント」に関する日本初の本格的な入門書『B Corpハンドブック:よいビジネスの計測・実践・改善』で監訳者に名を連ね、編集を担当した矢代真也は、フリーランス編集者であると同時に、実家の跡取りとして京都の老舗呉服問屋「矢代仁」の経営にも携わっている。「家業をB Corp企業に」という密かな想いを胸に『B Corpハンドブック』の制作にあたった編集者/事業承継者が、「B Corp」「承継」「編集」に通底するものとは何か考える、本書未収録の特別版・編集後記。

text by Shinya Yashiro
photo courtesy of Yashironi

『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』
B Corpハンドブック翻訳ゼミ=訳
鳥居希・矢代真也・若林恵=監訳
バリューブックス・パブリッシング刊


分業と効率

2022年、『B Corpハンドブック』を編集しながら、家業の継承が始まった。父が社長を務める京都の呉服問屋に取締役として入社したのだ。新卒から10年間編集の仕事をしていたので呉服のことは何もわからない。定年後のOBから研修を受け、自分ができることを探しながら、新卒採用など総務・人事を担当している。

京都の呉服づくりは、分業制を取っている場合が多い。着物の絵柄をつくる織り、染め、刺繍のプロセスのなかには、染めのためのマスキングを行なう「伏せ糊」や、伸縮性が高い生地を均一な幅と風合に仕上げるための「整理」など、20近いプロセスにそれぞれ専門の職人がいる。職人は京都市内の至る所にいるので、出来上がるまでにひとつの着物は市内をめぐることになる。

はじめは職人を1カ所に集めて工場をつくったほうが効率的だろうなと思った。クルマで市内を回ることはそもそもエコではないし、それぞれの工程の現場が分かれているとコミュニケーションも大変そうだ。ただ、その話を聞いていて自分の編集者としての経験を思いだした。

発注するか自分でやるか

新卒では作家エージェントを事業とするスタートアップに就職した。何から何までやらせてもらったという記憶がある。マンガ雑誌で連載を担当したり、作家のウェブサイトや電子書籍をつくったり、目の前の仕事にがむしゃらに向き合う日が続いた。

印象深いのは匿名で活動したいという新人作家の発売記念イベントに向けて、仮面をつくったことだ。家庭用プリンターで出力できる布シールをヨドバシカメラで購入して新刊の書影のイラストを出力、東急ハンズで買ったオペラ座の怪人がつけていそうな形の白い仮面に貼り付けた。

その後、『WIRED』日本版編集部に転職した。ここで仕事をしていて印象的だったのは「発注」だ。初めて企画したインタビュー記事で前職のときと同じように自分で写真を撮ったとき、「なぜ写真家に撮影を発注しなかったのか?」と怒られた。

最初の会社では、自分で「できる」方が偉いと思っていた。デザイナーやライターなど外部に発注する機会も少なくはなかったが、予算や納期が少ない緊急事態にPhotoshop、InDesignを見よう見まねで使いながら制作を完遂することで価値を生むことができると思っていたからだ。

一方で編集部で教わったのは、編集者はうまい「発注」をすることこそ、腕の見せ所なのだという考え方だ。決められた予算のなかで発注を行ないクオリティをコントロールする術を、この職場で身につけなければ、と思ったことを覚えている。

「糸繰(いとくり)」の工程では、束のまま染められた絹糸を枠に巻き付け、整えやすい状態に。
温度や湿度によっては糸が切れることもあるため、職人の目配りが欠かせない。


何もしないプロ

当時よく思い出したのは「よいプロデューサーとは現場で床のゴミを拾える人」という小説家の橋本治による文章だ。優秀な映画のプロデューサーは、撮影現場ですべての段取りを終えているのですることがなく、誰もしないゴミ拾いをすることで現場に貢献するという。

このたとえが面白いと思ったのは、プロデューサーが発注によって「ゴミを拾う」という仕事を生みだしたところだ。もしプロデューサーが自分のできる仕事を担当していたら、「ゴミを拾う」という仕事は誰もやらなかっただろう。アサインした人たちを信頼することで、自分がさらに貢献できることを探せる。そして、新しい仕事をつくることができる。そんな「現場で何もしない」というプロフェッショナリズムもあるのだ。

各分野のプロフェッショナルに発注することは、アウトプットのクオリティを上げるが、それだけではない。それぞれの工程で担当者が分かれることで責任が明確になる。そしてその責任の隙間に、新しい仕事を見つけることができ、アウトプットのクオリティはさらに上がるだろう。そんな状況を設計することこそが、編集者の仕事なのでは?と思うようになったのだ。


発注しない」が切り捨てるもの

『B Corpハンドブック』のなかで、「サプライヤー」という翻訳語に対して、以下のような註を付けた。

「供給者を意味し、製造業の場合だと自社のプロダクトをつくるために必要な部品などを納入する業者のことを指す。物理的な供給に限らず、たとえば出版社の場合、編集者やライター、 デザイナー、DTPオペレーター、 校閲者、印刷会社、流通業者、書店など多様なサービスを提供するステークホルダーのことを指す」

これらのステークホルダーは、編集者が発注によって本をつくるという仕事を分業した結果生まれたものだ。たとえばテキストの誤りをチェックする校閲という仕事は、最近だと編集者が自分で行なってしまうことも多い。テキストを読めれば「できる」からだ。

ただ、編集者が発注したことによって生まれた校閲者という役割がもつ専門性は本がもつ信頼性に貢献し、出版というエコシステムの一旦を担ってきた。効率を重視して「発注しない」のであれば、そこで切り捨てられるものにも目を向ける必要がある。


発注と責任

B Corp認証を取得するために必要な「Bインパクトアセスメント」では、コミュニティと呼ばれるカテゴリのなかに企業による多様なサプライヤーへの発注を評価する項目があり、女性や有色人種、その他アンダーレプレゼンテッドな(代表権をもたない)人々と取引をすることが求められている。『B Corpハンドブック』の著者の1人であるティファニー・ジャナ博士はその意義を下記のように説明する。

「多様なサプライヤーから調達することは、アンダーレプレゼンテッドな人びとを社会の周縁に追いやりつづける歴史的な過ちを正す強力なステップともなります。経済的なエンパワーメントは、自由をもたらすことと同義です。小規模で、アンダーレプレゼンテッドな企業と購買契約を結ぶことで、子どもたちの大学教育へのアクセス、生涯にわたる学生ローンの負債からの解放、賃貸住まいから持ち家へ、その日暮らしから経済的な安定へ、といった変化を生むことができるのです」(『B Corpハンドブック』p. 111)

ここで明らかにされるのは、「発注」における責任だ。発注を行なうものは、自分の選択・判断によって多くのステークホルダーの生活が左右されることを改めて認識しなければならない。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」のだ。

しかし、「言うは易し」でもある。「B Corpハンドブック翻訳ゼミ」のなかで、自分たちのビジネスにおいて不可欠な「サプライヤー」を事細かに挙げようとしてみたことがある。その時、一体誰がどのように関わって仕事が成り立っているのか、これまで一度もきちんと考えてこなかったことに気づかされて愕然とした。

オフィスから出るゴミを回収してくれる人、コピー機のメンテナンスをしてくれる人、あるいはワーカーたちが暮らす家の大家さんのような人たちであっても、遠い間接的な存在とはいえ、自分たちの事業が影響を受ける「ステークホルダー」といえないことはない。

そう考えると、ひとつの小さな仕事・事業であっても、それが多種多様なサプライヤーのネットワークのなかで成り立っていることが見えてくる。もっというなら、ビジネスとは、そうしたネットワークをつくっていくことにほかならないとさえ思う。事業の主体としての会社もまた、そのネットワークの一員として相互の依存関係のなかで生き長らえている。

発注における責任というものの主旨が、そうしたネットワークがもつ豊かさを保つことにあるのなら、サプライチェーンの健全化やマルチステークホルダー・ガバナンスは、発注者の善意や公共をめぐる思想というよりも、まず第一に自分たちの事業の存続可能性に関わるものとして検討されなくてはならない。そして、サプライヤーへ配慮した「よい発注」を行なうためには、自分のビジネスが置かれているネットワークをより高い解像度をもって理解する必要がある。

「整理(せいり)」の工程では、織り上がった生地を湯にくぐらせたのち、クリップテンターと呼ばれる6mの機械で横に引っ張ることで、風合いを残したまま反物としての幅を出す。
「絣(かすり)」という織の技法では、1本の糸を染め分けることで模様をつくる。染め上がった糸を並び変えたのち、「はしご」と呼ばれる機械で巻き取ることで、様々な意匠が生み出される。


編集者と経営者

まだ半年しか家業に関わっていない自分は、京都の呉服業界がもつ分業の本当の意味はわかっていないだろう。ただ、編集という仕事で培ってきた経験が、一見非効率的に見える仕組みによって培かわれた価値を改めて意識するべきだと教えてくれる。

呉服の仕事を始めて、新しい「ステークホルダー」を知る機会が増えている。呉服屋に生まれたにもかかわらず、会社の商品が生まれるために、どんな人が働いているのかを理解していなかったことを痛感する。京都という町には、手で染料を調合しながら糸を染める人、親子三代で机を並べて生地に糊を引く人、空気が動くとむらが出るので夏でも空調を使わないで反物を染める人がいる。

一方で、自分の仕事は何なのだろう?と考える。ものをつくることはないし、社内に営業の部署があるのでそれを売ることもしない。さらに経営を大学で学んだわけでもない自分は、「この家に生まれた長男である」という事実のみで、この仕事に就く。

ただ粛々とこれまでやってきた編集と比較しながら、この仕事を理解していくしかないのだろうと思う。「ゴミを拾う」ような仕事ができるために、何をすればいいのかはまだわからない。ただ編集者として写真を撮ったりマスクをつくったときとは違って、自分の手で着物をつくることは難しい。だからこそ、やることは明確だ。

実家でB Corp認証の取得を進めようと思いながら、ハンドブックを編集していた。その気持ちはまだ変わってはいない。ただやれるのは、何の専門家でもない編集者として働いてきたのと同じように、発注を続けていくだけだ。

photo by Masami Ihara

矢代真也|Shinya Yashiro
株式会社コルク、『WIRED』日本版編集部を経て2017年に独立。合同会社飛ぶ教室の創業に参画し、マンガ編集・原作、書籍編集、リサーチ・ブランディングなどを手がける。19年にSYYS LLCを創業、20年には京都にも拠点を構える。22年、家業である株式会社矢代仁の取締役に就任。


『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』
B Corpハンドブック翻訳ゼミ=訳
鳥居希・矢代真也・若林恵=監訳
バリューブックス・パブリッシング刊