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『未来につなぐ〈いのち〉』ー高山千弘 30年後、2050年社会に向かってとりくむコミュニティでの〈いのち〉の与贈循環

2019年9月7日、NPO法人場の研究所が主催する「場のシンポジウム2019」が、共催するエーザイ株式会社の大ホール(東京・文京区)で開催された。今回のシンポジウムのテーマは、「『〈いのち〉のオアシス』~生きにくい社会の形を底辺から変えていく~」だ。

エーザイ株式会社執行役員知創部部長である高山千弘氏による講演、「『未来につなぐ〈いのち〉』~30年後、2050年社会に向かってとりくむコミュニティでの〈いのち〉の与贈循環~」をご紹介する。(文:あおみゆうの/編集:片岡峰子/写真:高橋昌也)

共存在社会をつくる事業

エーザイ株式会社は製薬会社ではあるが、自らを「ヒューマンヘルスケアカンパニー」と称している。これは、新薬を作るだけではなく、「共存在社会を作る」ことを事業の柱としているからだ。

私はアメリカで世界初となる認知症の薬を担当した。帰国後は、大学時代の恩師でもある清水博先生の教えに出会って、「〈いのち〉の与贈循環を街づくりに活かしていきたい」と考えるようになった。これが、会社として共存在社会の実現に向かっていくきっかけになった。

閉じた社会から開かれた社会へ

フランスの哲学者であるアンリ・ベルクソンは、「閉じた社会」「開いた社会」という概念を提示した。そもそも人間社会は、初期状態では閉じた社会であった。しかし、イエス・キリストやブッダの出現により、一時期、開かれた社会となった。ここでいう開かれた社会とは、「個人間の差異を乗り越え、すべてを同等に扱う社会」のことである。しかし一度開かれた社会も、現在は再び閉じてしまっている。

イギリスの哲学者であり倫理・経済学者でもあるアダム・スミスは「道徳感情論」の中で、人類の繁栄の源は共感であるとした。さらに「他者に共感し、他者も自分に共感することを知ること」が重要だと記している。

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アンリ・ベルクソンは、閉じた社会から開いた社会へ向かう過程を上図のように現した。本能から生まれた「自分たちが良ければいい、他者を排他する閉じた社会」から、知性を超えて「直観(エラン・ヴィタール)」に向かっていくこと。私の解釈では、「愛」に近いものだ。愛を貫くことによって、開かれた社会に向かっていくはずだ。

また、文学者でありキリスト教の指導者としても知られる内村鑑三は、「公(おおやけ)を重視して、理想を持って社会に働きかけた。自分は愛の主体になり、「生を愛してやまない」という人生観を持ち、これを信条としていた。

〈いのち〉の与贈循環が起きる内在的世界

社会には、外在的社会と内在的社会とがある。〈いのち〉の与贈循環が起きるのは内在的世界である。

オーストラリア出身でユダヤ系哲学者である、マルティン・ブーバーの考え方で言うと、「我というのは場に命を与え、汝も場に命を与える」そこで、我・汝の関係になる。〈いのち〉同志の能動的な関係が、場の〈いのち〉を生んでいくのだ。ここで、個々の〈いのち〉と場の〈いのち〉という、二重の〈いのち〉、いわゆる共存在社会ができていくのである。

「マザーテレサの後継」と称されている、カトリック思想家ジャン・バニエは、たいへん残念ながら本講演の2ヶ月前に亡くなってしまった。彼は軍人であったが、知的ハンディキャップを持つ方と出会って、大きく自分の考えを変えた。誤解を恐れず言うならば、場の中でいちばん片隅に追いやられているのが、身体的・知的なハンディキャップや病気を持った方である。バニエは、「知的ハンディキャップを持たない人が持つ人を一方的に助けるのではない。一緒にいることによって、障害を持たない我々が学んでいく」と語っている。

私たちは、ときに自分の弱さを隠すために心に壁を作り、弱さを人に見せないようにしている。まさしくこれが、「外在的な世界の中にある」ということだ。そこから内在的な世界を作るためには、「心の壁を溶かす」ことが大切だ。

弱さを抱える人から学ぶ

それを教えてくれるのが、知的ハンディキャップを持っている方々である。世の中から排除された人々に「目を向け、接し、共に生き、友情を育んでいくこと」が、我々が変わっていくひとつのきっかけになるのである。「世の中から排除される傾向にある人こそ、私たち人間を解放して、社会に貢献できる〈いのち〉の輝きを持っている」とバニエは主張している。

古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの「善く生きる」という観点に目を向けると、「人は強いと同時に弱くなければならない」のだ。人は自らが強いときは、本能的に自分を守ろうとする。弱くなったときに初めて、「弱い立場の方から学ぼう」「繋がろう」とするのだ。

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所有から共存在へ

インド独立の父として知られるカンジーは、「必要以上のモノを所有するのは盗みである」と指摘している。それが、世界に広がる貧困を生んでいる。所有というのは正しく「自分だけ良ければいい」というエゴの中、つまり外在的な世界の典型なのである。

そうではなく、所有から共存在に向かっていかなければならない。今こそ、我々の生き方の転換が求められている。清水氏が語った「二重の〈いのち〉の共存在社会」である。こうなってはじめて、生きている者同士が繋がっていき、全ての方々が繋がっていくのだ。

改めて、アダム・スミスの「道徳感情論」を振り返ると、内在的な自己になりきる、つまり、本当の自己と繋がることで、初めて他者に共感することができ、真の意味で繋がることができる。「他者の感情を自分の心に映しとり、同じ感情を引き起こす」これがあって、初めて経済が成り立つのである。

事業家で慈善家としても知られている渋沢栄一も、「素晴らしい福祉(社会)があって初めて経済が成り立つ」と語っている。いわく「そこのところを今の社会は忘れてしまっている。そこに、大きなひずみがある」と。

我々は外在的自己になってしまっている。今こそ我々は内在的な自己を自覚し、次の段階へ進むべきではないのだろうか。個の〈いのち〉を与贈できる重要な段階へと。

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ありのままの〈いのち〉を肯定する

ヒューマンドキュメンタリー監督の伊勢真一氏の「えんとこの歌」は、寝たきり歌人の遠藤滋氏を題材としている。脳性マヒのために30数年寝たきりになった歌人のドキュメンタリーだ。

遠藤氏は、「わたしは自分のありのままの〈いのち〉を肯定したい。何かを為すことによってはじめてその人が評価される基準を私は毀(こわ)していきたい」と語る。これはまさしく、資本主義の世界に焦点を当てている。そして、「できないことをみんなに手伝ってもらって堂々と生きてゆきなさい」とも記している。遠藤さんは、この苦しみがあったからこその出会いがあり、そこに〈いのち〉の与贈循環がある、と、共存在の素晴らしさをお互いに感じるのだと語る。

ジャン・バニエの作ったコミュニティは世界150箇所にあるが、日本国内では唯一、静岡に「社会福祉法人ラルシュかなの家」がある。我々エーザイの社員は数年の間にのべ200人ほど、ここに通った。そこで行われたハンディキャップを持つ方々との交流の中で、大きな気づきを得てきた。

ジャン・バニエは「愛するとは、その人の存在を喜ぶことです。その人の隠れた価値や美しさを、気づかせてあげることです」と語っている。そのためにはまず我々は自分を受け入れて、心の壁を溶かし彼らと一緒に「共存在」になることが望まれているのだ。

医療的ケアを必要としている郁己くんは、内臓の位置が全てズレていて、背骨が曲がっており、膝が後ろに向いている。そのうえ、目も見えないという非常に厳しい状態に置かれている。彼にパンをプレゼントしようと、いくつかの袋を差し出すと、数がたくさん入っているものを選んで、「お兄さんと一緒に食べたいから」と言う。我々は、他者と分かち合うということを、彼のこのような姿勢から大いに学ぶ。

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「主客分離」から「主客非分離(=共存在)」へ

二重の〈いのち〉をいかしていくことが、共存在社会の実現に繋がるのではないか。一人ひとりの個性をいかしながらも、同じ居場所の中で〈いのち〉の与贈循環をおこなっていく。これが場の〈いのち〉である。

自己の〈いのち〉を居場所に与贈する。この居場所が自己組織的に成長し、居場所から〈いのち〉の与贈を受ける。そして包み込まれる。これそが共存在の社会なのだ。

医療の場における哲学的な位置づけとして、儒学者である孟子は「世界に条理がある」「世界は転変する」の2つの見方があると指摘している。我々は、世界が転変する前提で、共存在社会の実現を成し遂げていかなければならないのだ。

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「治す」と「治る」

従来の西洋医学は一方的に「治し」てきたと言えるだろう。しかし、本来は「治る」状態を作っていかなければいけない。それこそが、共存在の社会の状態ではないのだろうか。実際、共存在の社会になればなるほど、人が『治る』ことが実証されている。人の卓越した能力が上がっているのだ。

エーザイは「ヒューマンヘルスケア」を理念としている。今までの社会は、沢山モノを作って豊かになれば良いと考えていた。その時に忘れていたのが、他者に対する感性や思いやりである。そこでエーザイは、他者に対する想いを「ヒューマンヘルスケア」という言葉に表した。

エーザイの目的は社会貢献であって、結果として売り上げや利益が付いてくる。「売り上げや利益を目的としない」と謳った世界で初めての企業だ。

共存在社会の実現に向けた街づくり

「共存在社会の実現」に向けて、あんしん基盤といきいき基盤を基にした街づくりに取り込んでいる。これは「共感」をベースにしており、「新しい暮らし(コミュニティ)」「新しい産業(市場創造)」「新しい地域資本(地域社会保障」の3つの軸の創出を目指す。住民・事業者・自治体三方良しの、全く新しい未来志向のビジネスモデル「共感型おかげさま・おたがいさまのまちづくり」を手掛けているのだ。

ヒューマンインテリジェンスを重視し、「生きている」から「生きて行く」に変化する。そのために、住民が主体となって、エーザイ以外の企業とも協力をしながら街づくりに取り組んでいる。

こうした取り組みを続けると、住民がどんどん変わっていく。自己中心から他者依存、自己主導を経て自己変容へと進んでいく。つまり、街づくりの中で〈いのち〉の与贈循環が起こっている。

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相互主観が果たす役割

こうした取り組みの中では、相互主観(二人称)が重要な役割を果たす。また「無財の七施」にあるような、思いやりをしっかりと持って取り組むことも大切だ。このような取り組みの結果、私たちは大きな変化を目の当たりにすることになる。

ある地域の七夕まつりの短冊には、自己のエゴに対することや所有のことは一切書かれていなかったのだ。「弱い立場の人に手を差し差し延べたい」「ずっとこのコミュニティで人とのつながりを大切にしたい」「高齢者が孤立しないようにしたい」「子供たちに街の文化を残したい」……。1年間住民が取り組んできた結果が、実を結んだ瞬間だ。

街づくりを、人と人との関係性の改善で実現していく。住民が自分たちのアイデアで取り組んでいく。

我々エーザイは、地域住民のインテリジェンスに関与していくことによって、プラットフォームビジネスを構築していき、これまでの「エゴ」システムから「エコ」システムへと変えていきたい。企業や行政、いろんな方々と一緒になって共存在社会になっていく。そこで〈いのち〉の与贈循環が起こる。これから全国で少しずつ広げていきたいと考える。

我々が目指すのは共感に基づく共存在社会の実現。企業も変わらなければならない。清水先生、支えていただいているすべてのみなさんに感謝しつつ、実現に向けていきたい。

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高山千弘プロフィール

エーザイ(株)執行役員・知創部部長
東京大学卒業後、1982年にエーザイ(株)入社。英国にてMBA(経営学修士)、米国にてPh.D.(医学博士)を取得。その後、日本・米国においてアルツハイマー型認知症治療剤「アリセプト」の臨床試験、承認申請やマーケティング、認知症社会啓発活動に携わり、hhc理念をグローバルの隅々にまで浸透させる活動を展開している。

未来のイノベーションを生み出す人に向けて、世界をInspireする人やできごとを取り上げてお届けしたいと思っています。 どうぞよろしくお願いします。