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勝手に諦めて

今年はびっくりするくらい梅雨時期から雨が降って、日照時間が少なかったと思えば、とんでもない暑さで外出も躊躇われるほどの気候だ。

いつもは夏時期になると朝走っていたのだが、朝から30度近くあるとさすがに気持ちが折れてしまった。

正直に告白すると、今月はほとんど走れていない。
ランニングアプリからもお叱りのメッセージがバンバン届く。

それでも昨日は、台風が接近する前にと無理やりランニングを強行。
風があるだけ、同じ気温でも少し涼しく走れるのではないかと考えたからだ。

もう、笑ってください、としか言いようのない速度と距離。
あんなにランニングだと叫んでいた私がこんなことで恥ずかしいったらありゃしない。

何かをしています、と宣言すると、それを極めたり続けたりすることが当たり前で、していないと途端に恥ずかしいという気持ちが湧いてきて、もう二度とやれないと思い込んでしまう。

私はどちらかというと完璧主義なので、やるからにはきちっとやりたい、と思う人。

だから何かでつまづくと、ほらね、また私できなかったわ、結局何をやってもこうなっちゃうんだわ、なんて思うことが多々ある。
そして勝手に挫折感を味わう。
できなかった、成し遂げられなかった、悲劇のヒロイン。

今まで勝手に再開のハードルを自分で上げていた。
完璧にできなかったから、きっと自分には合っていない、向いていない、とあきらめたものも多々ある。

決めつけると、人間楽だから。
ズバリ、こうだ!と言われると落ち着くから。

本当は継続して走っていないと、距離も伸ばせなくなるし、すぐに足の筋肉も落ちる。
昔習っていたピアノと一緒だ。
指をコンスタントに動かしていないと、いざブランクがあって弾き始めようとしても、鍵盤の上で指が滑らかに動かず、まるで音が躓いて不規則に転んでしまったかのようになる。

じゃあ、継続していなければ、もう今までのことはまるで無駄となり振り出しに戻ってしまったのか?というと、そうではないと信じたい。

全くのゼロではなくて、イチくらいにはなっているかもしれない。

でもやりたかったら、やったらいいんじゃないか。
つまづいても、やる必要があると自分で思うなら、また走り出してもいいんじゃないか。
周りと比べたらカタツムリみたいな速度で、動いているのかいないのかわからないほどかもしれないけれど、自分の心がまたやってみたいと思うのならば、あくまでも「しれっと」再開したらいい。
深く考えすぎると、もう二度とやれないと思う殻を破れなくなるから。

お盆休みも終盤。
今まで勝手にあきらめてきた沢山のことを見直してみよう。

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