記事をシェア“何かに依存していることは悪いことか?”

2019/2/22
尾藤誠司(東京医療センター)
日経メディカルオンラインより一部抜粋

...最後に、一般的には「依存症」とは認識されてはいない状態ですが、個人的にはまさに「許さない」社会が生み出した、なかなか厄介な依存が現在社会には二つ存在していると私は考えています。

 ひとつは「仕事への依存」です。「仕事依存症(ワーカホリック)」という言葉は普通に用いられている言葉ですが、ほとんどの場合他者からの支援の対象になりません。なぜなら、依存状態にある自分自身が困っておらず、さらに表面的には仕事にコミットし続けることによって会社の利益にもなるからです。ですから「その仕事へのあなたの過剰な依存状態はなんとかしたほうがいい」ということには通常なりません。

 もうひとつは「正義への依存」です。「正義依存症」という言葉があるのかどうか試しにグーグルで調べてみたら、作家の橘玲さんがこの言葉を使っていました。ちょっと分かりにくい概念ですが、簡単に言うと正義感や倫理規範や法律などの規範に自らを寄り添わせ、その規範から外れる「正しくない人」を責め立てることで自分の存在意義を確認し続けるというような行動、と私はイメージしています。有名人とか大臣とかが浮気したり失言したりするたびに「けしからん!」という反応を繰り返している人と言えばわかりやすいでしょうか?この「正義依存症」という病気(私は病気だと思っています)は、ネットニュースやSNSの普及の副産物として社会にもたらされたようです。

 そしてこの二つの「依存症」に対して、なんらかの支援がなされるべきなのではないかと思っています。なぜなら、これらは当事者というよりは当事者の周りにいる個人や社会を傷つけるからです。例えば、仕事への依存が過度な状態にある人は、自分のように仕事に熱心に打ち込んでいない人を「真面目にやっていない」と攻め立てるような行動に出ることが少なくないと私は考えています。私は、昭和の時代、日本の企業(ひょっとしたら日本全体)を奮い立たせていたのはこの「集団仕事依存症」の状態だったという仮説を持っていますが、今は家族や趣味や友人にうまく依存先を分散させて人生を楽しんでいる人たちが増えてきました。その人たちにとっては、仕事にどっぷり依存しないことで責め立てられるのは飛んだとばっちりです。なんというか、受動喫煙に近いものがあるかもしれません。

 さらに、「正義依存症」については、そもそも他者攻撃が依存習慣の実質そのものですので、仕事依存症よりも周囲に与えるネガティブな影響は大きいと思います。毎日のようにネットを通じて浴びせられるだれか「けしからん人間」への罵倒は、どんどん私たちが暮らす社会を窮屈にしていっています。これらについても、定時に帰る人を攻め立ててしまう個人や失言をした誰かを懲らしめようとしてしまう個人に責任をかぶせてしまうと、それはそれで「許されない」状況をさらに生んでしまうような気がしています。

 逆説的ではありますが、深刻な依存症になってしまう人たちを少なくしていくために必要な処方は、他人や何かに適度に頼りながら、たまに弱音を吐きながら生きていくこと、そして、それが許されている環境なのだと思います。いち臨床医には「社会的処方」のようなことはなかなかできませんが、まずは自分の半径10m程度が「許される」環境であるといいなあと思います。

依存、と聞くと、何か恐ろしいものに聞こえてしまう。
代表的なものに、「薬物依存」とか「共依存」とか...。

何かに異様に寄りかかっている場合には、それこそ“依存”ということになるだろうが、そもそもこの依存というネーミングが良くない気がする。

なぜなら、人が生きていくためには、何かに寄りかかったり、何かに支えてもらったりしなければ絶対に歩いて行けないからだ。

そのような支えさえも“依存”と呼ぶのは行き過ぎだと思う。
周りがあまりにも、どんなレベルのことでも、依存だ!依存だ!と言う厳しい視線があるから、何かに頼ることすらいけないことのように思えてしまう。

依存、という言葉の代わりに、ちょっと力を借りる、というのはどうだろうか。

上記の引用の文章の中にも書かれているように、そういった小さな支えや息抜きが許されることが、いわゆる大きな依存=異様なまでに何かに寄りかかっている状態 を回避してくれるのだろう。

そして、その小さな支えを沢山作っておいた方がいいだろう。
一つのものに寄りかかると、どうしても自分が辛くなった時に、より深くどっぷりと寄りかかることになるから。

私は、どちらかというと正義依存かもしれない、と自分で思っている。それを子どもにも強要してしまうこともある。
その時は強要しているつもりもなく、ただ間違っていることを親として正したい、危険な目に合わせたくないという、ごく普通の理由によるものだが、時と場合によって行き過ぎてしまうこともある。

親としての責任、正しくなければならないという価値観、勝手に作り上げた理想の親像...

ふと子どもと離れる時間が出来ると、ガチガチに強張っていた身体と心がほっと緩むのを感じることがある。

私もきっと「ちょっと力を借りる」場所やシチュエーションをもっと探さねばならないのだろうと思う。

勿論こうやってnoteを書かせてもらうという場を与えられていることも、私にとっては支えだ。

が、それだけを拠り所にせず、いろんなところに寄りかかって行きたい。

そして、願わくば私自身が、困っている人、つらいと悩んでいる人の拠り所にしてもらえたら嬉しい。これは職業病かもしれないが...

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