朔日参りで思うこと
とても悲しくて苦しくて、抜け出したくとも抜け出せなくて、どうして良いのかわからなかった時、
知り合いから、
「氏神さまのところで朔日参りをしてみなよ。」
と言われたことがきっかけで、毎月1日は欠かさず氏神さまに参ることにしている。
それまで「ツイタチマイリって何よ?」というくらい何も知らなかったうえに特定の宗教も信じていないため、神社には初詣に行くぐらいだったのだが。
最初は、どうにか状況の打開を図りたくて、という「下心」があったのは否めないが、何の義務感もなく今も続けられているのには理由がある。
神社において神様の前で手を合わせることは、「鏡」で自分の姿をうつして見てみること。
つまりは前の1カ月の自分の生活を「鏡」に写し、振り返り、感謝をする。
そしてまたこれからの1カ月をどう過ごしていきたいのかを願うことで、自分がありたい姿をイメージして動くための一歩にできる。
ということだ。
たしかに神社に参るという行為は、「苦しい時の神頼み」的な要素(先月は◯◯だったから、神様、今月は◎◎にしてください!的な。)もゼロではないのだが、
むしろ自分が過ごしてきた1カ月を静かに振り返ることができる場を作る、ということが本質的な意味合いである。
だから、朔日参りを欠かさないからといって、運気が上向く!とか、願ってたことがザクザク叶う!といった「極端なこと」は起きていない。(私の場合)
それでも、月初めに必ず手を合わせに行くということは、大切な時間だと思っている。
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そこではたと気づいた。
別に月一じゃなくても、毎日寝る前に今日の自分の1日を鏡に写して振り返ってみてはどうだろう?と。
朔日参りをするようになって、その月が無事に過ごせたこと、極端な話をすれば、事故も大ケガもなく無事生きているということがどれだけ有難いか、感謝し、前向きに捉えられるようになった。
それを毎日、少しの時間でも振り返ってみることで実感していけたら、もっと「今」というこの時間に感謝できるようになるのではないだろうか。
毎日やらねばならぬことをこなすことでいっぱいいっぱいで、心ここに在らずの時こそ特に。
毎日のプチ朔日参りのススメ。
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