そのうち美味しくなる
とある日、ラジオを聴いていると、
DJの方がどうも納豆が苦手で・・・と言っている。
納豆はとても栄養が高くて、美容にもいいらしいし、ぜひ食べられるようになりたいと思っているのだけれど、
どうも手が伸びない、と。
匂いがだめなのよねえ、と漏らす。
ラジオには、どうしたら納豆をおいしく食べられるかというアイデアがリスナーから寄せられていた。
レシピを聞いていると、ふむふむなるほどそれはおいしいに決まってる!と納豆好きの私も太鼓判を押したくなるようなものもあったが、
一方で、もうそれ、納豆を食べている意味ありますか?というような「ごまかし」レシピも紹介されていた。
どうやったらあのねばねばの食感を減らせるか?
どうやったらあの独特な香りを消せるか?
味の濃い調味料を混ぜたり、ありえないほど細かく刻んでみたり、果てには水で洗ってみたり・・・。
あのねばねばや匂いもひっくるめて、納豆じゃないのか?
そこまでして食べねばならないのだろうか?
小さな子どもに、どうしても野菜を食べてもらいたいと四苦八苦した親が、悩みすぎてどうしたらこの野菜の味や香りや存在感を消せるか?という境地まで行ってしまった状況と何か似ている気がして聴いていた(子どものことを思うあまり一生懸命になってしまう親の気持ちもよくわかるので、子どもの場合は一概に否定はできないのだけれど)。
*
昔、メロンが嫌いだった。
あの青臭い香りがダメだった。
昔、もずくが食べられなかった。
食感から味、もう、すべてダメだった。
でも今は両方とも好物だ。
頑張って食べてみようと思ったことは一度もない。
ただ、食べる機会があり、何となく食べてみようと思ったら、あれ?美味しい!と気づいたのである。
昔は寿司なんてそんなに好きでもなかったし、
いかの塩辛とか、そういう珍味も好んで食べようと思わなかった。
日本酒も好きでもなかった。
しかし時の流れや、いつ出会うか、で印象はまたがらりと変わるのだ。
今一生懸命好きにならなくても、ふとした瞬間に好きになり、大好きになる。
化ける。
生きていると、いろいろなものの良さがだんだんわかってきたり、見えないものが見えてきたりする。
だから人生は面白いのだと思う。
納豆が得意ではないあのラジオDJも、今頑張って食べようとしなくてもいいんじゃないか?
身体によかろうが、美容によかろうが。
頭じゃなくて身体が受け入れてくれる時がいつか来る。
私は今、パクチーが苦手だ。
ビールもウィスキーもおいしいとは思えない。
でもそのうちに、ふと違う扉を開くときがくるのかもしれない。
それがまた楽しい。
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