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読みたいことを、書ける気がしない

田中泰延さんの「読みたいことを書けばいい」を読んだ。

もう読まれた方も多く、色んなところで書評や感想は述べられているのを目にする。

だから敢えて私は内容に関して触れたり、感想を述べるのはやめておこうと思う。

ただ、とにかくここに書かれていた内容にガツンと頭を殴られたような気分だ。

考えたら当たり前ということも、自分で書いていると全然気づけなくて。
エッセイを書いてみたいと思いつつ、エッセイって何ぞやということを深く考えられていなかったり。

ここに記された“ダメな例”が全て私のことを言ってるんじゃないのか?と思えてくるほどだった。

さて、私がnoteを書き始めた理由は、
以前にも書いた通り、心や頭にふと浮かんだことを書き留めておかねば、日常の雑多なことをこなすうちに忘却させられてしまって、二度と水面から顔を出さなくなってしまうだろうから。

またちっぽけな個人個人、有名ではない誰かが何を考え、どう行動したか?を、昔の偉い人の伝記のように書き留め、書き溜めておける場所、そしてそれにいつでも触れられる場所(つまりはこのnoteという場)があったら、それが回り回って他の誰かを助けたり、励ましたりすることに繋がっていくのでは?と思ったから。

こちらのnoteに詳しく書いた↓


たしかに私はnoteを自分のために書いているという部分は多いかもしれない。
でも、それが自分が読み手として、「お金を払って本を買うように読みたい内容か?」というと、ちょっと違うような気がする。

私が読みたいのは、宮下奈都さんみたいな、透明感があって優しさがあって、いつ読んでもキラキラと静かに輝くような描写のある小説だったり、
こうなったらいいな、これだけ頑張ったのだから、それ相応の成果や結果が出るだろうな、と強く願っているのに叶わず苦い思いをする、だとか。思い通りにいかない、すれ違いたくないのにすれ違ってしまう切なさとか。そういった場面を切り取った心の表現だ。


でも、本当に到底それらを書ける気がさらさらしない。
あまりにも読ませてもらっている作家さん達が凄く、それと比べ自分の表現力では到達できないということが、書けないことがわかってしまっているから。

...じゃあ、何を書こう?

noteでもすでに、掌編小説を軸に書いている人、日常の一コマを独自の視点から切り取って書いている人、お役立ちの情報を絵や図解入りでわかりやすく解説している人...色んなスタンスで書かれていて、それを確立されている方が多くいる。そういう方にはファンもたくさん付いている。

私は、というと、医療系の内容も書けば、日頃の生活から考えたことも、またなんてことのないご飯についても書く。

特に、◯◯といったらMe'sotesさんだよね!?という枠組みが薄い気が自分でもやたら感じている。

別にプロのライターになるつもりもさらさら無いけれど、だからといってあまりにも書くということに対しての能力や得意分野がぼんやりしているのは宜しくない。

私らしさを自分で分かってそれを前面に出して書いていくためには、より一層内面と向き合うことが必要で、
まだまだ私ごときには時間がかかりそうであるなぁと、この本を読んで痛切に感じてしまった...。

#読みたいことを書けばいい #スタンス #スタイル #文章 #書き方 #つぶやき #薬剤師

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