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#わたしの習慣

こんなお題で記事を募集しているらしい。

ふと、習慣とはなんだろうと思う。きっと趣味のような単純に好きなこととも違うだろうし、仕事をするというような絶対的にやらなければいけないこととも違うだろう。また、無意識的に行っている呼吸をするとかそういうことともちがうのだろう。

思うに習慣って、何か目的をもって反復的・継続的に行っている日常の行動のことを指すんじゃないかなと。では自分にとって習慣とは何かと考える。

真っ先に思いつくのは詰将棋を解くことだと思う。詰将棋を解くのを習慣にしようと思ったのはかれこれ六年くらいまえだと思う。その当時は結構仕事が忙しくて、仕事と違うことに集中し、潜在意識からも離れられたいと思ったことがきっかけだ。

そんなとき興味を持ったのが詰将棋だった。詰将棋を解いている間は詰将棋に集中しているので、おそらく仕事のことをまったく忘れている瞬間があると考えたからだ。ある意味で強制的に仕事に対する思考をシャットダウンしているようなものだ。

昔はもうちょっとやっていたのだけれど、違う習慣も増えてきたので、今では下記のサイトを毎日解くのみが日課となっている。また、週末になると手数がちょっと長めの詰将棋が新聞に載るので、それを解くのも毎週のルーチーンになっている。まいにち詰将棋を解いているのは週末の詰将棋のための練習の意味合いが強くなっているように思う。

週末の詰将棋は自分はへぼなのでちょっと考えづらいものも多く、一時間以上考えてしまうことも多い。もう駄目だ解けないと思う瞬間もある。けれどそういった問題を解いた瞬間の喜びは大きい。そういった瞬間は仕事のことなど微塵も考えないし、その喜びは仕事の上で感じるものとは異質なものだ。そういう意味で自分はへぼでよかったと思う。

読書であったり、日記であったり、勉強であったり、習慣にしたいと思うことは多いのだけれど大体三日坊主気味になってしまう。6年間も続いている習慣って詰将棋くらいかもしれない。きっとパズルを解くことが好きなのだろう。だから一番初めに論じたように習慣というよりも趣味ともいえるだろう。

ただし、詰将棋を行うことで仕事を休んだり、著しく睡眠時間を削ったり生活に支障をきたすほどにははまっってはいない。10年前、レトロゲームを買って遊んだときは本当に寝食を忘れてしまった。好きだからと言ってこういったことを習慣化しては身が持たないだろう。生活を送るために趣味との距離感は必要だ。

適度に出来て、適度に面白くて、大きな負荷にならず、適度に必要を感じているからこそ詰将棋が習慣として成り立っているのだと思う。皆さんも、大きすぎる目標は三日坊主になりやすいから、いろいろ試して、継続できそうなことを習慣化してみてはいかがだろうか。

#わたしの習慣

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