シャーロック・ホームズ・パスティーシュ/パロディを取り上げる前に

「パロディとはまじめな原作を模した戯作、パスティーシュとは原作のやり方をまじめにまねた摸倣だと、エラリー・クイーンは規定している」と、オーガスト・ダーレス『ソーラー・ポンズの事件簿』(創元推理文庫)の解説(戸川安宣)に書いてありました。引用元は記載されていませんでしたが、パロディとパスティーシュの違いをわかりやすく説明しています。
 パロディが「戯作」なら、パスティーシュは「贋作」となります。原典の作者が新作を書いたかのようだ、というものがパスティーシュで、原典の魅力以外のものが付与されている(批評・批判精神など)のがパロディだと、僕は勝手に考えているところもあります。

 シャーロック・ホームズに関して言えば、作者コナン・ドイルの著作権消滅後、パロディ/パスティーシュの数は飛躍的に増大したようです。ただ、パロディの作例は山ほどあるけれど、本格的なパスティーシュはほとんどない、というのが実際のところで、まして連作形式で複数書き上げた作家はわずかです。
 ホームズ・パスティーシュで最も定評があるのは、作者アーサーの息子アドリアン・コナン・ドイルとジョン・ディクスン・カーが合作した『シャーロック・ホームズの功績』(ハヤカワ・ミステリ)で、これに次ぐ評価を受けているのが、おそらくはジューン・トムスンによる連作でしょう。
 トムスンのホームズ・パスティーシュは第一弾『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』以降、『クロニクル』『ジャーナル』『ドキュメント』『ノートブック』『アーカイヴ』と六冊刊行され(訳書はすべて創元推理文庫、ただし『ノートブック』『アーカイヴ』は未訳)、質量ともに最大級の贋作シリーズとなっています。

『シャーロック・ホームズの功績』とジューン・トムスンの贋作は、ホームズ聖典の〈語られざる事件〉を作品化するという、趣向の点でも共通しています。
〈語られざる事件〉とはなにかというと、聖典(コナン・ドイルの手による本家シリーズ)でワトスン博士が「こういうことがあった」としか記述していない事件のことです。これが案外たくさんあるのです。ジェイムズ・フェリモア氏失踪事件、スマトラの大ネズミ、「アルミニウムの杖」事件、などなど。
〈語られざる事件〉を扱うのはシャーロック・ホームズのパスティーシュ/パロディにおいては定番の趣向と言えますが、ひとつだけではなく、複数の〈語られざる事件〉を作品化してゆく作業に困難が伴うのは瞭然で、しかもパスティーシュには本家と見紛うばかりの筆致が求められ、さらに舞台となる大英帝国ヴィクトリア朝の知識がなければ書けませんから、パスティーシュ連作の追随者がほとんど現れなかったのも仕方がないのです。

 今年11月に刊行される予定の、北原尚彦氏によるホームズ贋作集『シャーロック・ホームズの蒐集』(東京創元社/四六判上製)は、完成度の面でも、また〈語られざる事件〉を作品化していることからも、アドリアン・コナン・ドイル&ジョン・ディクスン・カー、ジューン・トムスンに続く第三の存在と位置づけて差し支えないと僕などは考えているわけですが、それはそれとして、『蒐集』刊行を期に、折角なので高名な贋作をひとつひとつ読み返してゆこう、と思っているわけです。この文章はそのプロローグ。そして、その過程で北原氏の、『蒐集』に先行して10月に発売される異色のパスティーシュ『ホームズ連盟の事件簿』(祥伝社/四六判仮フランス装)も読み進めてゆこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?