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京都における洛中の範囲

平安京の区画と後に豊臣秀吉が作らせた御土居の範囲は一致していないため「洛中」の厳密な定義は無い(諸説あり)。

平安京と御土居の範囲が重複している部分は確実に洛中である。京都のカースト的にはその中の「田の字」地域がさらに高く、 中には21世紀になり、昭和はおろか平成も終わったというのに田の字エリアに住んでいるだけで謎にイキり散らかしてるイタい住民もいる。

だがしかし、よくよく考えてみれば住んでいるのは東京奠都の際に京都に残った冷泉家や有名な武士の子孫、著名人などのほんの一部を除き、平安貴族の末裔でも何でもない過去の栄光にすがったただの平民の子孫である。
(さらに言ってしまえば雑種の末裔)

なお平安時代など各時代の名前は政権中枢があった場所にちなんで名付けられることが多いが、安土桃山時代(織田信長、豊臣秀吉)の安土は安土城のあった滋賀県、桃山とは伏見城のあったあたりの桃の木が植えられていた洛南(洛外)の伏見桃山を指し(大坂城はあくまでも豊臣家のプライベートな城)、いずれも京の洛中ではない。

また徳川家康が将軍宣下(将軍就任)を行ったのは洛中ではなく伏見城である。

その後、徳川家康が江戸幕府を開き、明治維新が起きて明治天皇が都を東京に奠都した後、洛中の権威が回復することは二度と無かった。

ながらく御所に歴代の天皇陛下が住まわれていたため、京都には文化的な遺産が多く残っていたり現在に至るまで伝統を守って営業しているお店は多数あるが、だからといって伝統や文化へのリスペクトを超えて必要以上にビビったり過剰に有り難がるようなものでもないと個人的には思う。

また京都といえば藤原道長・頼道親子がつくった平等院(十円玉に描かれている鳳凰堂のある所)や源氏物語宇治茶といった日本人なら誰でも知ってるもので有名な宇治市(京都府)出身の人も、自分を他府県出身者に自己紹介する時に「京都出身」と言うのあるあるらしい。

関東も豊臣秀吉に関東に追いやられた徳川家康が湿地帯を開墾してつくりあげた地方出身者の集まりでしかないので、日本のどこに住んでようが、どこの出身であろうが卑屈にならずにみんなもっと自分の出身地や出身地の文化、方言にプライド持ってほしい。

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