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待ち遠しかったもの

柴崎友香 「待ち遠しい」

 僕の最愛の作家・柴崎友香の新刊。実はこの本の刊行記念イベントで初めて柴崎さんにお会いした。そのイベントもまた考えさせられることが多く、本と合わせてぐっときている。
 この小説は物静かだけれど思慮深い主人公・春子の視点からの人間模様を描いた小説。主役となるのはどこにでもいそうな、しかしこの小説において役立ちのしっかりした以下の三人の女性である。

 まず、主人公「春子」。彼女は恋愛・結婚願望がなく、一人の生活を楽しむ三十代。芸術系の大学を出て刺繍やデザインを学んでいたが、今は普通に働きながら趣味で消しゴムはんこを作るなどしている、ごく普通の女性。イベントで作者・柴崎さんは

「物語にはよく喋る人も静かな人もいろいろ出てくるけれど、その中でだれを主人公にするかを考えたとき、物静かだが世界をしっかり観察している人の視点で描くのがバランスとしてふさわしい」

という趣旨のことを話していた。彼女はそれである。
 次に「ゆかり」。春子はゆかりの家の離れを間借りしており、ゆかりは母屋の主人である。旦那さんと前の大家さんを亡くし、いまは一人で暮らす五十代(?)。何かと世話焼き。娘とはすれ違い、娘はニュージーランドに行ってしまい連絡がつかない状況なことが推察される。真実はよくわからない。そこがこの小説の面白いところであり。三人が各々の話と想像を錯綜させて世界が構成されていくのだ。
 三人目が「沙希」。雰囲気はいわば今どきの若者で、拓也と新婚である。しかし母子家庭で育っていて、母は元夫からの暴力などで離婚し、沙希も幼少期に辛い過去を背負っているとみえる。そうした背景もあってか沙希は結婚や子供を持つことへの信仰が強く、恐ろしいほどに全くの疑いがない。春子とは正反対の考え方の持ち主で、やたらと突っかかってくるものの信頼はしているようである。
 この小説は柴崎さん本人も言うように登場人物が意図的に配されている。50代、30代、20代という異なる年齢。未亡人、新婚、未婚という家族構成。そして「一人」ということや「女性」への考え方の違い。こうした思いのすれ違いを明らかに、しかし我々の生活でいかにも経験しそうな形で描き出されているのが小説の魅力だ。

 この小説で最も考えさせられたのは「家族を持つこと」とは何かということだ。タイトルの「待ち遠しい」の意味は物語を読み終えてようやくうっすらとわかる。僕らが何を待ち遠しく思うのか。それは消去法的におそらく一つ、「沙希のお腹の中にいる赤ちゃん」である。時に信頼し、時にすれ違う三人が唯一共通して感じたことが「沙希の妊娠を喜ばしいと思う」ことだったからだ。
 改めて、この小説のテーマは家族だ。まず沙希は、恋をし、結婚をし、子供を持つこと、そしてそれらを望むことが「当たり前」だと思っている。そしてそう思えない春子を「異常」だと思っている。子供を欲しいと思わないと言う春子に対して沙希がこう言う。

「自分は親に育ててもらったのにそんなこと言うん、人として普通じゃないでしょ。」

沙希には沙希なりの暗い過去があって、彼女なりの正義があるのだと思う。一方のゆかりも、春子に五十嵐という男をくっつけようとする。しかし春子はそれをおせっかいだと感じ、強い嫌悪感を抱いた。普段は感情を口に出さない春子はこう言う。

「それが、いやなんです」
「ゆかりさんでも、うちの親でも、誰でも、とにかくわたし以外のほかの誰かが決めることじゃないんです」

と。沙希もゆかりも二人とも家族の喪失を経験しているからこそ、強い思いがあるはずだが、問題はそこではなくそうした思想を「押し付ける」ことについてだ。春子はとにかく押し付けられることが嫌いだった。三人は互いに相手の事情を想像し、決めつけ、押し付けてしまう。でも人も本当の想いや真実は誰にもわからないものだということをこの小説は教えてくれる。
 家族のことだけでなく、物語で描かれる事件はどれも明確な真相はわからないままだ。ゆかりの娘がニュージーランドに去ってしまった理由。沙希と、母と、その元夫の間の過去。拓也と犯罪を犯した友人の事件の真相。どれも、誰かの口から答えが明かされたように見えて、それはその人の見た答え、考え、思いに過ぎない。こんな「本当のことなんてわからない」という感覚は、僕たちの生活で根強く存在するのに、見過ごされていることだと思う。それを考えさせてくれるこの小説は素敵だと思う。

 でも一方で、救いとなる事も僕たちの毎日にはあって、小説ではそれが「待ち遠しい」ことなのだ。物語で沙希は妊娠する。互いにすれ違いながらも、春子、ゆかり、沙希はそれぞれがそれぞれの形で新しい命の誕生を喜ばしいことだと感じる。異なる考えを持っていながらも、ゆるやかに気持ちが共鳴するタイミングがあることもこの小説は伝えていると思う。僕らはこういう救いを待ち遠しく思いながら、人と人とがつながって生きているのだろう。

 最後に、柴崎さんの世界はいつも日常の描写が美しい。この小説でもお揃いのブラウスの色に始まり、豊かな色彩が安心感を与えている。だから、小説に始まりと終わりがあっても、その中の世界だけはこれからも永久に続いていくような信頼があるのだ。春子は最後に自分の家を思い出して物語が終わる。

春子は、その小さな家の中を順に思い浮かべた。玄関を入ると靴箱の上に犬の張り子が置いてあって、階段を上がると緑色のシャギーのラグが敷いてある。台所には赤いホーローの鍋とお揃いのコーヒーポット。
見上げると窓ガラス越しにカーテンの亜麻色がある。ここに引っ越してきたときからだから、そろそろ買い替えようか。今度はもう少し明るい色がいい。そう、黄色か黄緑の、日差しが透ける生地のを買いに行こう、と春子は思った。

こんな場所がきっと世界のどこかにあるように思う。そして三人が分かり合えても分かり合えなくても、この世界がずっと続いていけばいい、と僕は思った。

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