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霧の中で考える

通常なら小雨の続くバンクーバー。ここのところ濃霧が発生することが多く朝晩とても神秘的な日が続いています。

出勤時、私は北バンクーバーの山に向かいセカンドナローと呼ばれる橋を渡って北上します。この橋から、左にダウンタウン、右に青々した山に挟まれた海峡、正面にシーモアマウンテンに続くグラウス、ライオンと地元では有名な山が控え、それはそれはきれいです。

この景色に毎朝慰められ、励まされ、そしてここにいられることの幸運に感謝すらしています。

ですが、ここのところ濃霧の為目の前50メートルくらいに視界が限られてしまいます。とても不思議な感覚です。

ほかの記事でも呟かせていただいたのですが、ただいま長男試練の時を過ごしています。

小さなアップダウンはあるものの、全般的に低迷期間といったらいいでしょうか。とにかくすべてが悶々としていて、正解や終わり、終わりの兆しすら感じられない深い暗闇の中を歩いたり止まったりしています。

これからどうしたらいいのか、何になりたいのか、何がしたいのか。今まで何をやってきたのか、そしてやってきたことに意味があるのか。

ちょっと考えて出る答えはありません。それに沢山考えても多分答えは出ません。

私にもそんなことを考えていた時期がありましたし、悩んだ経験もありますが、そういう時こそ立ち止まらず座りこまず、歩き続けていた気がします。そうすることで答えではなくても、何かに気づけたり、今まで考えたことのないことを思いついたり。

はまってしまった穴から見るのではなく、違った角度で世界を見るという発想に近いでしょうか。

なので、悩める彼には、無理をする必要はないけれど、目の前にあるできることから片付けて、大きな問題に目をそらす必要はないけれど、考えながら悩みながらも、今いる日常を丁寧に過ごすことをすすめています。

でも今の彼には何を言っても、「意味がない」ようでなかなか手ごわいです。

そんな時のこの霧です。

周りが全く何も見えない。まさに五里霧中。

たとえこの橋の下に貨物船が何台も海峡にある港に泊まっていたり、正面にある山の上にきれいな雪が積もっていたり、ダウンタウンの高層ビルが朝日できらきらしていたり。それを知っていても、教えてもらっても、あまり意味がありません。だって見えないから。

今の彼がこんな感じなのかなと思うと、私の心の中のもやもやが少し晴れるような気がします。

怖いんだろうなあ。こんなに何も見えないと。この周りにすっごくきれいな景色やため息がつくような世界があることを誰かに言われても、それを聞き入れて信じることは難しい。

それが全く見えなければすごく不安になってしまうし、自分がどこにいるのかふとわからなくなって、足がすくみます。恐怖と不安で気が遠くなってしまう。

だったら、どうしてほしいのか。

考えた結果、今は黙って横にいることが私にできる唯一のことなのかもしれないなあという結論に達しました。いつまでこれが続くかは分かりませんが笑。

大丈夫、ここにいるよ。怖くないよ。一人じゃないよと時々思い出してもらえたら。

立ち止まったら、一緒に止まって、一歩歩きだせるのを待ってみよう。いつか絶対に終わるこの闇を今はただ一緒に歩いてみようと思いました。

今日の会議の初めに上司がこんなことを冒頭に話してくれました。

早朝、霧の中考えたんです。何も見えない状態で景色で確認することはできなくても、必ず大学に到着するとわかっているから、それを信じて運転しました。あまりに周りが見えなくて、あれ?これでよかった?って何度も途中思いましたが、大丈夫と自分を言い聞かせて(笑)。
大量の仕事に迷いが生じることがあっても、そこから少し視点を外して今目の前にあるやるべきことだけに集中してしっかりやっていこうと気持ちを引き締めました。

ふむふむ。なるほど。
この霧。いろんなことを考えさせられているのは私だけではないようです(笑)。

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