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瀬戸内が美味しくなっている

『メトロミニッツ』で2016年5月にスタートした連載コラムを順次リライトしていきます。

瀬戸内の風

 2016年は瀬戸内国際芸術祭開催年。最近は、瀬戸内という括りのフェアや商品が増えているように思う。食もまた然りだ。瀬戸内と食の関係を見ていくのに、注目点は3つあると思う。

 1つは、”瀬戸内”というワード自体のイメージの向上だ。これは、2010年に瀬戸内国際芸術祭が始まったあたりから顕著になってきている。瀬戸内国際芸術祭は、3年に1度開催されるアートの祭典だが、クリエイターや若者達の関心を集め、地域イメージがアップした。食の業界でも、これまで県産表示だったものを瀬戸内産と表示することが増えた。「この傾向は、2012年に限定発売されたカゴメ『野菜生活100瀬戸内レモンミックス』あたりからではないか」と広島県商工労働局の担当者は語る。「広島県産よりも瀬戸内産の方が売れる」というメーカーの意見に、”瀬戸内”の価値上昇を産地も確信したというのだ。

 2つめは、瀬戸内にI・Uターンするイタリア料理人の存在だ。例えば愛媛県東温市にIターンし、2008年からイタリアレストラン「ロカンダ・デル・クオーレ」を営む青江博シェフは「ここ数年でイタリアンが増えました。瀬戸内の気候、食材は、イタリア料理に適した環境」と語る。2014年夏、広尾から岡山県牛窓市に移転したイタリアレストラン「アッカ」は、東京でも大きな話題となった。同店の林冬青シェフも「普通の食材が素晴らしい。汽水域の多様な魚種も、イタリアのような景観も、おおらかな人もいいんです。イタリア料理をするならばここしかない」と。瀬戸内という土地柄は、イタリアを経験した料理人達の琴線に触れるようなのだ。


 3つめは、内海環境と流通事情だ。瀬戸内の魚介の主な市場は、大阪、神戸だが、2011年以降、東京の需要も増えた。しかし、瀬戸内は漁場規模が小さく、少量多品種の魚種は大手流通に向かない。「その代わり、産直志向の個人オーナーの店では、少量多品種のニーズがあり、それに対応する卸しが出てきた」と前出の広島県商工労働局は話す。内海は漁場が近く、輸送拠点に近い港を選べば、朝取れた魚を東京でもディナーで提供できる。これらの状況が、瀬戸内の食を東京にも少しずつ身近にしている。

地方の食は、連携と編集の時代に

 2013年、瀬戸内を囲む7県は「瀬戸内ブランド推進連合」を設立した。行政が県境を越え、新たな地域の魅力を編集する、他にない大型連携だ。設立後2年で、瀬戸内ブランドの認定商品は、食品を中心に大きく伸びた。同組織は、2016年3月、地元企業とともに「せとうちDMO」へ改組し、瀬戸内ブランドの確立に向け事業を活性化させるという。瀬戸内の食には、これまでも香川のうどん、愛媛のみかんなどの有名産品はあったが、認知度の低い小規模高品質の食材もまだまだ多い。内海の魚介類、急傾斜の段々畑い育つ多様な柑橘類、乾燥した気候に適した小麦が育んだ各地の粉物文化などは、瀬戸内に共通する食の特色だ。

 そもそも、瀬戸内という概念は、近代、外国人の視点によって生まれた。大正から昭和の戦前、瀬戸内は人気観光地で、内海の美しい地域一帯を、外国人は”The Inland Sea"と呼び、日本語訳として「瀬戸内海」が誕生した。瀬戸内は、外部から発見された概念を今再び内部の人々が自覚することで、他の地域に少し先んじて美味しく進化しそうだ。

                   ーMETRO MIN. VOL.162 ー

記事を書いてちょうど3年。今年も瀬戸内国際芸術祭年です。瀬戸内は豪雨の災害に見舞われましたが、地域の魅力は以前にも増し、地域の結束も強まっているように感じます。観光も攻めています。2017年10月にはガンツウ就航。クルーズの復活はかつての瀬戸内インバウンド全盛時代を彷彿とさせます。最近聞いたのは、水上タクシーで行く江田島の水上レストランの計画。「空海プロジェクト」というそうで、こちらも楽しみです。

『メトロミニッツ』2002年11月創刊。毎月20日発行。東京メトロ全9線52駅専用ラックにて配布。発行部数10万部。「INTO THE FOOD」連載中です。



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