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大好きな人との最後の夜 Day604

こんにちは!
だいすけです!


今日はついに2週間以上

僕の穴の空いた膝を塞いでくれていた

糸の抜糸をしてきました。


朝9時にホテルを出て、

今回の抜糸は一人で先生に

会ってきました。


日本語が少し話せる先生で

とても物腰柔らかな人です。


入院中も毎回膝の状態を

確認しにきてくれた人で

この先生のおかげで僕の膝は

今、こうして無事に塞がっている

わけです。


病院に到着して、先生に連絡し

先生が来るのを待ちました。


今日も忙しいらしく、なかなか

現れず、20分くらいしてようやく

会うことができました。


今日は抜糸だけできたのですが、

同じように治療をしてもらう人が

たくさんいて、思った以上に

待つことになりました。


その間、先生とお話をして

時間を潰しました。


アンチラベに住む先生のご両親のお話や

アンチラベの日本語が話せる医者など

いろんな人の話をしました。


なかなかこうやってゆっくり話す機会も

ないので、先生のことがしれて

良い時間でした。


40分くらいまってようやく自分の番に。


待ったのは長いのに10分くらいで完了しました。


抜糸は最初「チクッ」としましたが、

痛みもなく終わりました。


ちゃんと傷は塞がっていて、

先生曰く綺麗になっているようです。


ただ、歩く時は皮が引っ張られる感じが

して、ちょっと歩きにくさを感じますが、

これはリハビリで慣らしていく必要が

ありそうです。


先生にJICAの保険申請の書類を

記入してもらい、そのままJICA事務所に

戻ってきました。


先生に書いてもらった書類を

健康管理員に渡して、ここで

やらなければならない仕事は完了しました。


合わせて、療養中に使っていた杖を

返却しました。

今まで、ずっとこいつのおかげで

物乞いを避けられていたのですが、

ついに僕の大事なお守りともお別れです。


ちょっと惜しい気持ちがありましたが、

今日からは怪我人ではなく、普通の人として

物乞いの手をのらりくらりとかわしながら

生きていく生活が始まりました。


昼はアナラケリーというアンタナナリボの

中心街になるところで、一人で昼食を

とりました。


糸が外れて久しぶりの杖なしでの

徒歩です。

バスに乗ってアナラケリーまで行きました。


バスを降りて、今日は中華料理を

食べに行きました。


前日にこの辺りで同期が

「麻婆丼」を食べたらしく、

旨辛の店だったというので

そこを目指しました。


見つけたお店は大衆食堂のような

こりじんまりとしたお店で、

しっかりとメニューには

「麻婆豆腐」と書いてありました。


麻婆豆腐と餃子を注文し、

出てきたのは理想通りの麻婆丼でした。


味は、同期隊員の言っていた通り

「旨辛」。


ただ、豆腐の味がちょっと酸味のある

不思議な味で以前別のお店で食べた時の

豆腐と同じ感じでした。


日本の豆腐のようなツルッとした感じ

ではなく、木綿をより固くしたような

しっかりと食感のある豆腐でした。


はっきり言って不味くはないですが、

これが麻婆豆腐だよと言われれば

美味しく食べられると思います。


麻婆丼を食べた後に餃子が到着

一人で2品以上頼むという

まるで孤独のグルメのゴローさん

のようなことをしてしまいましたが、すでに

胃袋が限界を迎えていました。


連日美味しいものを食べすぎて

胃が疲れているようです。


餃子は餡そのものに味がついていて

タレなしでも美味しく食べられました。


でも、餃子と麻婆丼の組み合わせは

僕にはまだ早かったようです。


お腹いっぱいで口の中も油まみれ。


でも、アイス一つくらいは

入りそう。


やっぱり油の洗い流すのは

甘いもの。


ちょっと遠いですが、

少し前に行ったソフトクリーム屋さんに

直行しました。


やっぱりこの組み合わせは最高です。


油には甘いものです。


今日はソフトクリームのバニラ味を

注文しました。


大満足して、またきた道を

ルンルンで帰り、ホテルに

戻ってきました。


ですが、久しぶりの長距離の

散歩で、体はもうクタクタでした。


こんなに体力が落ちたかと

自分でも驚くくらい落ちていて

その後ホテルで二時間眠りました。



夕方になって、ちょっとフランス語を

やって、夜からは僕の訓練所時代から

ずっとお世話になっている同期隊員と

マダガスカルで長く住んでいる日本人の

お宅の食事会に呼ばれました。



その同期とは訓練所はずっと一緒で

「おはよう」から「おやすみ」まで

飯も、風呂も、授業以外はずっと

一緒にいました。


20個近く歳が離れているのですが、

兄弟のような、親友のような、親子のような

尊敬している大好きな人生の大先輩です。


いいところをあげたら、noteには

書き尽くせないくらい素敵な人です。


ついに今日で最後の夜となりました。


今回お邪魔させていただいたお家は

「たくさん人を連れてきてね!」という

スタンスの方で、他にも色々隊員を

呼んでいるのかと思いきや

僕とその同期二人だけでした。


お邪魔するお家の方とも

少人数で話してみたい方だったので

今日はまたとない機会でした。


お家に着いて早々、ご主人と対面。


膝の話をまだしておらず、

開口一番「なんで言ってくれなかったんだ!」と

怒られてしまいました。


それだけ、心配してくださったので

むしろ、連絡を取らなかったことに

申し訳なさと後悔を感じました。


でも、こんなに心配してくださる人が

いるんだということに気づかせていただいたこと

どうしてもこう言うことを連絡するのは

「心配かけたら申し訳ない」ということの方が

先行してしまい、連絡しにくいのですが、

今後は親しくさせてもらっている人には

連絡をしようと思いました。



毎回こちらのお家にお邪魔する時は

奥様の手料理が振る舞われます。


これが美味しくてバクバク食べて

しまい、お腹がいっぱいになりました。


美味しいご飯を食べながら

いろんな話をしました。


出てきたのは政治の話。

マダガスカルの政治は正直言って

「腐敗」しています。


銀河英雄伝説の受け売りですが、

政治の腐敗とは政治家が賄賂を取ることじゃない、それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。


と言うのが政治の腐敗だと思います。


まさに、それが起きていて

国民の大切な票がお金で買われていたり

口では「現政権はクソだ」と

言っている側で「No.3!」(大統領の選挙番号)

と叫んでいる人がいたりなかなかに

腐っているんですが、

日本も同様のことが起きているなと感じます。


外から見ていると、日本の良い部分も

見えてくるのですが、それと同時に

政治は変わらなくてはならないと

感じることがよくあります。


「マダガスカルもそうだけど

日本も変わらないといけないよな!!」と

同期が言っていましたがまさに

その通りだと思います。


僕は何度も海外を経験して、少なくても

並以上には考えるようになりました。

が、今回この協力隊を経験してより強く

思うようになりました。


自分一人では日本をよくすることは

できませんが、良くしたいと思う人が

増やせれば変わるのではないかと

思っています。


その一つの手段に「協力隊」は

ありだなと思うわけです。


だから、もっと若い世代に海外を見て

もっと日本のことに興味を持って欲しいです。


なんてことを話していました。


あっという間に時間は過ぎ

気づけば時間は9:30に。


行きも帰りもご好意で車を

出してくださり、しかも夜は

ボディーガード付きでホテルの入り口まで

送ってくれます。


その帰りの車の中でポロッと同期が

「今日はほんまに楽しかったなぁ。

今日はだいちゃんと過ごそうって

決めてたんや。

だいちゃんほんとありがとうな」

と言ってくれました。


今日は僕と過ごしたくて

僕だけを呼んでくれたのです。


そんなふうに考えてくれる人が

いるなんてものすごく嬉しかったです。


マダガスカルに来てからは

彼はマダガスカル人と共に暮らすことを

最重要事項に据えていてほとんど僕が

関われることがなかったのですが、

最後にそれを聞いた時は幸せな気持ちに

包まれました。


彼と過ごした日々は僕にとって

一生忘れることのない最高の大事な

宝物です。


風呂でバカな話をして、中学生みたいに

キャッキャしてたことも、

夢を語り合ったことも、夜中にうるさく

しすぎて怒られたことも全部全部。


青春時代は過ぎ去りましたが、

ある意味で青春の1ページです。


協力隊に来て、こんな素晴らしい出会いが

あるとは思ってもみませんでした。


今生の別れではないので

寂しくはありませんが、

ちょっと心がギュッとなります。


明日は必ず笑顔で送り出そう。


たくさんの思い出に浸った夜でした。


と言うわけで今日はこんな感じ。


それじゃあまた。

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