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考察などしなくても「かわいそ笑」が百合小説であることは明白【後編】

続・拡散の意図

 拡散の意図について、分析を続けます。

 そもそもα=「四十代女性」だった場合、「筆者」の前で「ぷつりと姿を消し」た彼女はすでにこの世のものではなくなっているように思えます。その状態で、呪うも呪われるもあるものでしょうか?
 そこまで考えたところで、第三話のある一文が浮かびました。

「儀式は完遂したこととなり、死者は報われる。報われるというよりも、(中略)そうしなければ死者が浮かばれない」

 実は、「かわいそ笑」を読むのと前後して、追善供養について調べていました。
 (「お山に連れていかれる、という概念に元ネタってあるんだっけ?」→田中貢太郎の「立山の亡者宿」を読む→立山にまつわる伝承を調べる、という流れ)
 みんなもあるよね、急にお山について調べたくなること。

 ともあれ、このシンクロニシティのおかげで、供養に関する説明は印象に残っていました。
 セーラー服の女性が度々口にする「やりなおせなくなっちゃった」「もうやり直せないよ残念でした」という言葉は通常仏教思想で想定されているような輪廻に組み込まれることなく、呪いの中で半端に生き続けることを示しているように感じられます。

 だとすると、αはセーラー服の女性が真っ当に死後の世界に向かえるよう、供養をしたいのではないでしょうか?

全体の流れ

 というわけで、解答編として、一気に出来事の流れを紹介します。細かい疑問点は後ほどフォローします。

2000年代(α、βは20代)
・β、独自のおまじないとして、「右上左下ルール」「名前書き換えルール」を考案。この時点では悪いものだという自覚なし。
・β、大学在学時にαと出会う。
・α、βの風水趣味を疎ましく思いながらも友達づきあいを続ける
・β、洋子にトリミング写真(本人的には創作)を見せる。同時期に「あらいさらし」の元ネタになった創作小説を作成?
・β、悪いものを創作キャラ「ω」に背負わせようとするが、呪詛返しを受ける。大学を休学
・洋子、怪奇本の取材を受ける。
・β、呪われたωの真似をすることで呪いを避けようとするがうまく行かない。
・β、洋子と再会
・洋子、再び怪奇本の取材を受ける。
・β、「名前書き換えルール」を使用した夢小説を拡散して呪詛返しを薄めようとする。「この方向だとしっくりこない」(※全く別の出来事である可能性あり)
・β、自身の創作を真似る行動がエスカレートし、セーラー服を着たまま命を絶つ。
・α、βが考案した呪いを利用して、βの供養をしようとする。
・α、「名前書き換えルール」(「漢字四文字の男性」が対象)と「右上左下ルール」を使用して「あらいさらし」の一次メールを拡散。
内容はβの創作小説とβ自身の写真をミックスしたもの。
・α、さらに「不幸になる系列のスレ」にて「漢字四文字の男性」を呪う。
・α、「すず」としてトリミング前の写真を投稿。その後軌道修正して、トリミング後の写真のみがネット空間に残る。
・α、「一生消えません(笑)」のメールを見て「あらいさらし」を断念。
・α、「霊感学生の友人」の体験談を掲示板に投稿。
・α、「名前書き換えルール」(?)と「右上左下ルール」を使用して「アンソロ寄稿文」を作成。
(拡張子がdocxであるのでWord2007登場以降の出来事)
・Mixiにて、「アンソロ寄稿文」の件と「改変夢小説」の件が話題になる
(もう少し後の可能性もあるが、「長編小説」の投稿よりは前)

2010年代(αは30代)

・α、「名前書き換えルール」を使用して「長編小説」を投稿。
 この時期まで、呪いの対象は「ω」?
・α、「名前書き換えルール」「右上左下ルール」を使用して、あらいさらしの二次メールを拡散。
・「霊感学生の友人」の体験談が妙な形で拡散し、「明晰夢音声の呪い」が発生する。
・「著者」、「明晰夢音声の呪い」に巻き込まれ、調査を開始する。

2020年代(αは40代)

・α、「名前書き換えルール」「右上左下ルール」を使用して鬼門のおふだ(横次鈴版)を拡散。
 この時期から「横次鈴」を対象としはじめた?
・「著者」、αに接触。
・α、人ならざる存在になる。
・「著者」、αに再度接触。
・「著者」、「かわいそ笑」を発表。

洋子が見せられた写真の正体

 すでに検証したように、セーラー服を着たトリミング済の写真それ自体は何ら特別なものではありません。これは、βが創作やおまじないの延長で作った偽物の心霊写真だったのではないか?まだ呪いの効力に無自覚だったβが遊び半分で作ったものなのではないか?というのが今回の結論です。

漢字四文字の男性」の正体は?

 「あらいさらし」の一次メールに登場する男性の名前はどこから出てきたのか。適当に持ってきたにしては、随分グダグダした恨み節を向けられています。

 ふと思いました。この筋道の通らないグダグダした恨み節の文体は、もしかしたらβの書いたものなのではないか?考えてみれば、一次メールの詳細な内容は読者には知らされていません。それなら、一次メールはβの小説からの引用文にβ自身の画像をミックスしたものだったのではないでしょうか?

 考えてみれば、そもそもなぜセーラー服なのか?という話です。β自身が作成した怪談をトレースするため、だとして、βの怪談にはなぜセーラー服が登場したのか。
 もちろん、登場人物が高校生の設定だからです。おそらく、「長編小説」で引用された学園小説、これが本来は怪談に接続していたのではないでしょうか?
 例えば、「私(少女)」「これからの登場人物(少年)」「私の姉(少女)」の三人が痴情のもつれを起こし、一人の少女が自殺(彼女こそが「ω」)、残された少女が少年を呪う、という物語だったのではないでしょうか?

 ミステリ的に考えても、地の文だと思われていた箇所が実は作中作の引用だった、というのはたまにある仕掛けです。(本作についてはその逆もあったりしましたが)

 ではなぜ一次メールの後に二次メールがわざわざ作成されたのでしょうか?αが実体験をベースに「名前書き換えの呪い」を活用していることを考えると、おそらく創作ベースでは「名前書き換えの呪い」が十分に作用しなかったのだと考えられます。

 いずれにせよ、一次メールはかなり試行錯誤の中で行われた拡散行為であったと考えられます。

「洗い晒し」について

 これに関連して、「あらいさらし」についての情報があります。軽い気持ちで「洗い晒し」について調べて見たところ、難産で亡くなった方の供養のために行われる儀式だという情報があり、ひっくり返りました。
 もちろん、ホラーを嗜んでいれば出産や幼い子供にまつわる縁起でもない話に触れることも多くあります。けれど、本作を通読した時点ではそのような話に繋がりそうな要素がほとんどなかったもので、自分でも意外なほど驚いてしまいました。

 慌てて全体を読み直して見ましたが、うーん、どう解釈してもこじつけくさい。思うに、この「あらいさらし」も元々βの創作に登場するものだったのではないでしょうか?

 上で例示したような少年と少女のトラブルが実際は単なる痴情のもつれではなく、妊娠や出産に関連するトラブルだったというのは(こういう言い方も難ですが)βのようなタイプの作家の好みそうな展開ではあります。

 考えてみれば、「長編小説」の投稿者がわざわざ例の小説を引用した行為にも意味があったはずなのです。これは「あの子」すなわち「ω」を読者の「心の中」に居座らせるための行為だったのではないでしょうか?

「すず」のいた場所

 「すず」ことαの行動は拡散行為の一種だと考えていたのですが、違和感があります。一つには、「すず」自身がトリミング前の写真の効力をあまりわかっておらず、その後わざわざトリミングをして効力を弱めるような行為をしていることです。

 もう一つ気になるのは、「すず」の書き込みです。彼女の書き込みには「虫」「こばえ」「トイレ」という単語が登場します。これをロム専君はODによる幻覚症状と体の不調の典型と捉えていましたが、もしかすると、このときαは事件現場である廃トイレにいたのではないでしょうか?

 この時期、αはかなりやけっぱちな精神状態だったのかもしれません。

αはβを嫌っていたんじゃないの?

 当然、嫌っていました。

 特に「霊感学生の友人」の投稿に詳しいと言えるでしょう。よくわからない霊感発言をところ構わず繰り返し、接客バイト(?)のトラブルを深夜でも連絡してきて、あまつさえ厄介な呪詛返しまで背負っているようなβに対して、αはほとほと愛想を尽かしていました。それでも、αはβと別れたくはなかったし、βが死後の世界でなお苦しむのを看過はできない。そういう関係でした。

 だから、亡くなった彼女を見ても、はじめに出てくる感想は「余計なことをしてくれた」でした。ずっと寄りかかられて、やっと精神的に安定しそうな兆候を見せたところで亡くなられては、そう思うのも無理はないでしょう。

 けれど、実際に亡くなったβを見たαが考えたのは、彼女がしようとしていたことを続けなければいけない、ということでした。βの作った創作小説のストーリーに沿って儀式を続けることでβを供養できる。αにしてみれば、βはなんとなく考えた儀式を無意識のうちに現実に反映してしまうような人物なのですから、それに従う他なかったのです。
 「幽霊が見え始めていた」「これからできていたはずの霊体験」などはすべてβの追善供養が必要であることを示しています。

 「霊感学生の友人」の体験談は夢の中の話とされていますが、当然夢ではありません。「霊感学生の友人」が掲示板に書き込みを行ったり、「すず」がトリミング前の写真を掲示板に投稿したりしていた時期は、α自身感情の整理がつかずに不用意に捌け口を求めていた時期なのかもしれません。

では、「横次鈴」とは

 はじめ、「四十代女性」の言葉にある「名前は同じだったので、それもあって覚えやすくて」という言葉は、αとβの名前が同じことを指しているのかと思ったんですね。読み進めると、どうもそうではなく、βのペンネームである「りん」とβの本名である「鈴」が同じ、ということを指しているっぽい。

 ……と、思っていたんですが、ここでもう一度、αとβの名前が同じである可能性について考えてみます。つまり、βの下の名前が「鈴」であり、αの本名が「横次鈴」である可能性。

 すでに考察したように、「名前の書き換え」で創作人物に悪いことを押し付ける呪詛返し返しはうまくいきませんでした。αはその代わりに、「あいつの格好をすれば全部あいつに行く」というルールを変形させて、βに起こったことを自分に起こったこととして上書きしようとしているのではないでしょうか?

 他人や、まして架空の人物を使えば得体のしれない何者かを生み出すリスクがあることをαはしっています。そのため、呪いの対処に自分を使うという賭けに出たのではないでしょうか?

 人ならざる存在になった「四十代女性」が、αが、「横次鈴」を、かつての自分を、βを突き放して救えなかった自分を「ムカついた」と表現した心情はいかばかりであったか。

 「かわいそ笑」はホラー小説ですが、同時に「オカルト要素を含むイヤミス」であり、「おぞましい愛憎を内包した百合小説」なのです。

あとがきにかえて

 「著者」よ、百合小説に読者を巻き込んではなりません。

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