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果実と野菜の狭間で 劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト考

注意 ネタバレしかないです

トマト

トマトとは何か、と尋ねられたらなんと答えれば良いのだろう。
野菜だろうか?果物だろうか?

見た目は果物のようでも食べると酸っぱい、境界線上の存在。いや、本当はずっと熟していたのかもしれない。
そんなトマトが何を表すのか。スタァライトで果実と野菜がどのように表現されてきたかを参考に考えたい。

果実:
舞台に実ったたわわな果実
再生賛美曲で言うところのエデンの果実=未完成な舞台少女の輝き

野菜:
香子の甘えを表すネギ
まひるの隠れた輝きを表す芋

言ってしまえば「果実は甘美な青春を表し、野菜は成熟を表す」というところだろう。別に果物が野菜に成長するわけではないが、直感的にそこまで突飛な比喩ではないと思う。

すなわちトマトは卒業を控えて大人に片足を突っ込んでいる、あるいは気づかないふりをしているだけでもうすでに大人である舞台少女たちを表すものであるのだろう。

陳腐化するポジションゼロ

さらに踏み込んで、この映画が大人になることへの恐れ、卒業して外の世界で道を選ぶことへの焦りを描いている、という理解はおそらくさほど特殊なものではないだろう。

問題は、舞台少女にとっての大人とは何かということだ。

単純に浮ついた道を離れて地に足をつける、というような意味でないことは冒頭とエンディングで示されるそれぞれの進路を見てもわかる。

そのヒントはレヴューの変質に表れている。
本作において、レヴューはオーディションではなくなり、上掛けの落下やポジションゼロの宣言は絶対の勝敗ではなくなる。

ポジションゼロ扱いなんか酷いものだ。冒頭から沢山のサイコフレームみたいなT字が山盛り転がりありがたみも何もあったものじゃない。

そう、それが問題なのだ。

舞台少女はオーディションのトップを目指して争うものだった。学校の中での評価は重要なアイデンティティだった。しかし実際にはそれはこの世界にたくさんある勝敗、評価の一つでしかない。

一応は、TV版でもトップの絶対視が変化する様は描かれている。まひるやクロディーヌは自分だけの評価軸を育てつつあるし、双葉と香子、華恋とひかりなどは互いに互いを評価することで引き上げ合う関係になっている。

しかし、それはあくまでトップを目指して競い合う大きな前提ルールの上でのことだ。卒業してしまえばそれすら解体される。
大人になると絶対的な評価はなくなる。ならばどうすればいいのか?

皆殺しのレヴュー : 喋りすぎだよね

トップという言葉を振りかざす香子や、真矢がずっとライバルを演じてくれると思っているクロディーヌのことを、ななは「喋りすぎ」と断じる。
自分の用意した舞台で、周囲の役割がずっと続くものであると考える、押し付ける。そういう態度への非難だ。

舞台少女たちを将来へ運ぶはずだった列車は、レヴューの開幕と共に剥き出しの舞台へと変化する。

列車は守られたモラトリアムであり、しかしその外はすでに舞台の上だ。それでもしばらくはトンネルによって目隠しされているが、ななが真矢に舞台少女の行く先を尋ねる短い間、大都会が映る。

「舞台と観客が望むなら、私はもう、舞台の上」
そう答えた真矢だけが上掛けを落とされずに生き残る。

レヴューの直後はななの意図がわからなかったクロディーヌたちも、決起集会で改めて理解する。自分たちはすでに舞台の上であり、未完成でも世に放たれなければならないのだ。
ここで示される雨宮たちB組の面々、A組のクラスメイトたちの言葉の意味するところまでは改めて説明する必要はないだろう。

華恋の砂漠

華恋は気づかず列車に乗り続け、やがてレールの途切れた先で砂漠に放り出される。もちろんこれは彼女の進路が白紙であることと結びついている。

華恋はひかりとの約束を胸に舞台少女として歩んできた。それは一途な態度と言えるのかもしれないが、一方でそうすることによって色々なことを考えないようにしていたとも言える。本作では華恋のそういう弱みが容赦なく曝け出されている。

見ないし、聞かない。

運命を運命だと思っている間は他の可能性を見ないでも済む。叶うか叶わないかも、望んでいるのか望んでいないのかもわからない進路のことをいちいち考えなくても済む。

華恋にとって列車とはそういうものだった。

怨みのレヴュー : 甘いお菓子

香子やななのセリフに現れる「お菓子」や「おやつ」、これらは子供時代に許されている甘さのことだろう。

香子はずっと双葉の評価を求めていた。褒めてくれない家族と違って、いつでも自分を評価してくれる相手を求めていた。TV版でのレヴューを経て双葉の態度が多少厳しくなっても、自分を見ている限りは平気だった。

しかし双葉が舞台を続ける道を選んだことでその関係を続けられなくなってしまう。

注意しなければならないのは、双葉が求めるのは香子の甘えを断つことではないということだ。双葉自身も自分の夢を追いたいし誰かに認めてほしいに決まってる。
香子の甘えを受け止めることだって見方によっては立派な評価だろう。しかし双葉は外の世界を知ってしまった。「香子は分かってない」と言ってもいいのだとクロディーヌが教えてしまった。

香子の方だって、ずっとわがままに甘えていたわけではない。TV版ではトップに執着する以外にも服飾の仕事を手伝うなど、自分なりの道を模索していた。

今回改めて香子が神経質になっているのは単なる独占欲や執着ではない。
「忘れたん?諦めたん?受け入れたん?トップスタァやない自分を!」
寮で舞台少女たちに投げつけられた言葉は、実際は香子自身に向けられた言葉だ。

香子は、本当は舞台から離れて、クラスメイトたちと競うこともなく、家を継ぐことを逃げだと感じていたのではないだろうか。新しいことへの挑戦を続けられる双葉に負い目を感じていたのではないだろうか。
いつも自分の道を一緒に歩いてくれる双葉はいなくなる。それは自分が愛想をつかされるような「しょうもない」人間になったことの証明ではないのか?

レヴューを経て気持ちを吐き出した二人は改めて自分の道を歩み、香子の元にはバイクが託された。
バイクはレールの外をどこへでも行ける。乗りこなせるのかは香子次第だ。

競演のレヴュー : 素直に演じるということ

実際のところ、ワイルドスクリーンバロックの中でのまひるの変化は少ない。彼女はTV版ですでにほとんど「卒業」を済ませているからだ。

身内に背中を押されてその気になって聖翔に入学し、そのトップのレベルに打ちのめされ、本当は自分はこんなところに来たくなかったのではないかと思う。
せめてもの抵抗として居場所にしていた華恋のお姉さん役という立場ですらひかりの登場により危うくなる。

まひるを立ち直らせたのは、彼女の朗らかな優しさを十分な輝きだと認める華恋の言葉と、舞台に対する情熱の回復だった。
まひるは競演のレヴューの中でいくつもの競技をしながらも、朗らかで輝いているものが勝つというルールを貫いている。自分で選んだこの価値基準を持っていることがまひるの強さだ。

一度落とされた上掛けのボタンをメダルに変えて授与することも、かつてレヴューを私物化したまひるにとっては慣れたものだ。先に触れたように、上掛けによる勝敗はすでにある一つの評価軸でしかない。まひるやクロディーヌはその価値を自分で書き換えることができる。

もう一つ重要なのは、このレヴューの中でまひるの優しく朗らかな性格は演技だと語られることだ。確かに嫉妬深く直線的な部分もまひるの一部ではある。しかし演技だというのはずいぶんな表現ではないか。

まひるはレヴューの歌詞の中で「曝け出したからもっと素直に演じられる」と語る。ベタな表現であれば「曝け出す」=「役をやめる」となりそうなものだ。しかし本作では役を演じることはポジティブに描かれる。
それは自分で選ぶことが出来るからだ

「まひる、すごく怖かった。本当の舞台女優だった」
このセリフを聞いたとき、最初はなんとも無邪気な言葉ではないかとも思った。そんなひかりの言葉はしかし、嫉妬深い自分を肯定しながら優しく朗らかな役目を選択し続けるまひるへのエールだ。

本人たちさえ良ければ、本性と演技のどちらがどちらかというのは好きに選んでしまっていいのではないか。これもまたまひるの持つ強さである。

狩りのレヴュー : 産声を上げながら

作中で華恋と並んで大きく進路を変更しているのは純那だ。
このあたりはやはり他人の言葉では駄目だというななの指摘が効いたものと見える。

偉人の言葉を心得にすること自体はそこまで悪いことでもないように思うが、ここでは他人の言葉というのは、学校での相対評価や(結果を出すまで帰らないと語ったことのある)実家への体裁を含むものだろう。

レヴューの間降り注ぐ星は輝く星ではなく「星」という漢字そのものである。純那の語る言葉が借り物でしかないからだ。

他人の言葉を投げ続ける純那にななは切腹と解釈を促す。前後の描写と合わせて見るに、首を落とす描写は建前を捨てることを表していると考えられる。
ひかりを守ろうして折られるミスターホワイトや列車で血を吹く純那の首、クロディーヌに壊される神の器の頭などだ。

ななによって建前を剥ぎ取られた純那は泣きながら生まれ変わる。

「泣いちゃった」
ななはきっとTV版の9話で純那の言葉に励まされたときのことを思い出していたことだろう。
皆殺しのレヴューを行ったなな、ハリボテの塔を支えて決起を促すなな。きっと役割をうまく演じていたつもりだろう。

しかしその形はあくまで9話の時点での「純那の言葉」、そして保護者と被保護者の役割に縛られている。その人自身の過去の言葉だっていつかは他人の言葉になるのに。

純那はななが決着をつけると語る「あの子」について疑問を口にする。「誰?」と。ななに見えている純那はすでに現実の純那とはずれているのだ。

純那はななの獲物を手に取る。言葉を受け取る。しかし、ななの言葉に従い同じ道を生き続けるのだとすればそれは結局他人の言葉だ。人は人によって形作られるが、それは必ずしも押し付けられた役割そのままである必要はない。

本作ではキャラクターたちは大量のポジションゼロに溺れて、ときにはそれを拒絶して乗り越えて行く。「私の純那ちゃん≒舞台少女の星見純那」であればポジションゼロこそが目指すべきゴールであるのだが、「眩しい主役星見純那」にとってはポジションゼロだって通過点でしかない。

一方で、それぞれについて重要な原点、または再出発のスタート地点となるのはやはりポジションゼロだ。バイクのキー、スタジアムのゴール、悪魔の契約のサイン、空っぽのスタート地点。彼女たちはそれを選び取るのだ。
純那とななもまた巨大なポジションゼロに乗り、別々の方向に別れて行く。

新しい役柄を手に入れるとななは泣く。怖いのかもしれないし、嬉しいのかもしれない。みんなを守る母親としてのなな。先へ進む舞台少女としてのなな、そしてまだ役柄のないなな。
新しい役を得る瞬間は眩しい。けれどそれはずっと守り続けるものではなく、更新されて行くものだ。

魂のレヴュー : 美しい人、という輝き

トップスタァという役割について最も考えていたのは当然真矢だろう。それはときにごっこ遊びのようにも見えた。

例えば列車の中でまひるや双葉は真矢の語りを遮る。遠い存在であるとどこかで諦めている。もっともこれは役割で喋りすぎる真矢もそんなに良くはないのだが。

クロディーヌは気にせず真矢につっかかる。追いすがって見せる。クロディーヌに対してトップとして対峙することが真矢にとってスリリングなことだった。しかしいつの間にか追うものと追われるものの関係が固定されてしまっていたことも事実だった。

当然、学校の中でトップであることは外の世界では意味がないことだ。実力そのものは武器になるだろうが、首席と次席の争いというようなものは誤差でしかない。動物将棋で序列が決まる世界なら真矢は全然トップなどではない。真矢はそれに気づいているし、本当はクロディーヌもそれを知っている。
ならば卒業を機にこのごっこ遊びは終わるのだろうか。

クロディーヌにとってトップの真矢と気高く美しい真矢は同じものであった。おそらくは入学試験のときから。
オーディションの終盤、真矢がトップでなくなったとき、クロディーヌは自分の価値観で真矢の評価を改めて決めなければならなかった。
トップでなくとも気高く美しい者だと評価することは出来る。それは真矢から見たクロディーヌも同様である。

本当は魂のレヴューはすでに大半決着が付いていることなのだと思う。
これについては確信があるわけではないが、各レヴューでタイトルが出るより前の部分はお膳立てというか、「これまでのあらすじ」のようなものだとして考えた方がいいのかもしれない。

クロディーヌはオーディションのルールを捨てて、真矢と一対一で結んだ契約の中での決着を目指す。トップ争いというごっこ遊びとして存在していたライバル関係を、互いに評価し合う新しいライバル関係に更新するためだ。

相手が誰であっても努力や弱さを見つめることが出来る、というのはクロディーヌの美徳と言っていいだろう。双葉や純那に細かく目を配っている描写からもそれはうかがえる。そんなクロディーヌを評価者として迎えた真矢は幸運だ。

終幕 : 折れた武器

華恋とひかりは約束によって背伸びをし、ただ挑む以上の結果を手に入れている。互いが互いの舞台となり観客となる。これはトップが一方的にそれ以外を燃料にするというキリンのオーディションの価値観を崩すのには有効だった。

一方で、ひかりが転校する前、また幽閉されている間の華恋がモチベーションを大きく失っていたことからもわかるように、一人だけでは新しく評価軸を作れないという問題があった。

キリンの役目は終わり、多数の野菜の集合体となった彼は燃え落ちる。キリンの押し付けたオーディションはわかりやすく作られた評価でしかなく、その後ろには多数の評価者がいる。誰もが評価者になり得る。

「客席って、こんなに近かったっけ?照明って、こんなに熱かったっけ?舞台って、こんなに怖かったっけ?」
オーディションをしている間は向き合わずにいられた、本当の観客を華恋は恐れる。トマトが弾けたとき、華恋はそれが本当は酸っぱいと悟る。

華恋には自信がない。本当に自分で道を選んで挑戦し、それに失敗するのが怖い。だからひかりとの約束にすがり、他のことは見ないし聞かない。しかし本当は華恋を評価するのはひかりだけではない。

子供の頃だってすでに母親や同級生の評価に晒されている。それらと向き合った日々が虚無であったはずはないのだ。
人は人によって形作られる。しかしその相手が一人でなければいけないということはない。

再生産された華恋の武器は折れて短くなってしまう。本当は自前の輝きは小さいと認めるのは怖いかもしれない。
ひかりが華恋より先に卒業を済ませていたのは、自分の見栄を知っていたからだ。短くなった輝きと向き合っていたからだ。
嵩増しされていた輝きがなくなった代わりに華恋は自前の渇望があることに気づく。

本当は愛想をつかされているのかもしれないという恐怖と向き合った香子、
人と比較したら小さく見える輝きを軸足とする決意を固めたまひる、
過去の言葉への拘泥を乗り越えたなな、
健全に見栄を張る関係を得た真矢とクロディーヌ。
彼女らに並び立つだけの覚悟を華恋は得たのである。

それぞれのポジションゼロ

「忘れたん?諦めたん?受け入れたん?トップスタァやない自分を!」
香子の問いに改めて答えるとすればこうだ。
自己を研鑽する戦いは続く。しかしそのための場所や評価者は自分で選ばなければならない。そしてそれは一人に一つでもない。


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