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赤穂大石神社・赤穂城跡

阿蘇山に登った後、亀の井ホテル(阿蘇)の日帰り温泉で汗を洗い流し、仙酔峡に回って駐車場で昼食代わりの菓子パンを食べた。それから「やまなみハイウェイ」で道の駅「ゆふいん」までひと走り。九重連山の登山口「牧ノ戸峠」や「長者原」を通過した。その様子は上の動画をご覧ください。

道の駅「ゆふいん」で車中泊を計画していたが、係員に誘導された駐車場は土埃舞う第二駐車場。トイレだけ拝借して、時間潰しに湯布院の街へ下りた。とりあえず夕方まで観光でもと思い「金鱗湖」へ向かってみるが、これがとんだ間違いで想定外の大混雑。道幅が狭く、自分は軽バンだからと安易に突入したものの対向車が来ると先行するミニバンは身動きとれず。なんとかUターンして混雑エリアを脱出したが道の駅「ゆふいん」での車中泊に見切りをつけて別府市へ移動することにした。

別府市内でこの旅5回目の給油。コンビニで夕食と翌日の朝食用の食料を買い込んでこの日の寝ぐらを探すが、GW真っ盛りの5月3日です。観光地での車中泊はちょっと無理かな?という気がして、翌日の楽しみにしていた「別府海地獄」での「ゆで卵」も断念。別府ICから「九州横断自動車道」に上がり、この日のうちに関門橋を渡り伊佐PAで車中泊した。翌5月4日の朝、ここから近い秋吉台に行こうか、秋芳洞はどうか、あれこれ思いが駆け巡るが「ここは混雑しないだろう」という読みで兵庫県赤穂市にある「赤穂大石神社」と「赤穂城跡」を参拝・参観することにした。

大石神社

前置きが長くなりました。

赤穂大石神社はその名のとおり、「忠臣蔵」で知られる大石良雄(内蔵助)ら四十七士が祀られている。討ち入りまで1年10ヶ月を耐え忍んだことから「大願成就」「心願成就」にご利益があるとされる。1702年(元禄15年)12月14日、赤穂浪士47人が江戸本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。自分が幼いころは12月14日になると、まるで季節の風物詩のように、テレビで「忠臣蔵」のドラマが放送されていた。

四十七義士石像
四十七義士石像
本殿でお参り

直前の読み通り、大石神社は混雑するほどではなかった。しかし駐車場で車のナンバーを見てみると遠方からの車が多かった。

御朱印をいただいた

赤穂大石神社の駐車場から南の方角を見ると城壁が広がっていた。まるで沖縄の城(グスク)のようだ。
導かれるかのように足を伸ばすと「赤穂城跡」があった。

沖縄の城(グスク)を思い出す

赤穂城(あこうじょう)は1645年に赤穂に移封となった浅野氏により築城された近代城郭で、まるで五稜郭のような複雑な形をしている。城主浅野氏は「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件により改易、その後は岐阜県に所縁がある森氏(可成・信長家臣、長可・秀吉家臣)一族により治められ、明治維新を迎え廃城となった。平成以降、石垣や水堀、城門、本丸庭園の復元が行われている。

石積
城門
古代遺跡のよう
天守台跡
庭園

天守台跡に上がってパノラマ撮影。五稜郭のような複雑な形の一端を見ることが出来る。

余談だが、赤穂大石神社の駐車場は無料だが舗装されていない。そのためこの日は運動場に車を停めているような状態で、車は上から下まで土埃にまみれた。近くに赤穂城跡公園東駐車場があるが、こちらは舗装されていて無料とのことだ。

赤穂大石神社、赤穂城跡で参拝・参観した後、今回の旅の最終宿泊地姫路市へ移動する。4泊5日の旅だが、さすがにコンビニ食ばかりでは身が持たない。GW直前に計画を変更したが、運よく姫路駅前のビジネスホテルが予約できた。旅の夜、酒場に繰り出していつも思うことだが、良さそうな店を見つけても、「お一人様」は「満席」や「本日は完全予約」を理由に断られることが多い。それが残念。

旅行日:2023年5月4日

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