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人がいてくれるから優しくできる〜【被害者でも加害者の自分がいてそこから生まれたこと】〜  DVや児童虐待や障害者やなんたらの向こうの景色

【ともこさんと私が対面していくだけではむりだ】

児童虐待というなのもとで育ち30年自分が怒りの矛先はずっと支援者だった。時には自分。
関係をずっと絶ってたトモコサンに向くことがなかった。DVの加害の父ヒロっしーのも向くことがなかった。

16年ぶりに再会してから

私はともこさんに
DVの加害をしてくる父ヒッローシが自分の中にいるかのように
ともこさんを怒鳴ることが繰り返された。

ひとから
大切に尊重され
生きてるところを
見たことがまったくなく
逆に
意地悪されて
制限されて
ばかにされて

きたし
そんな母であった1人のトモコサンの周りの接し方を
みて育ってしまった


※:*母という
1人の人である
ともこさんが
大切に人として人から
されてることが18年間暮らしていて一度も
見たことがなかった※:*


わたしは父からDVを受けてきた
被害者でもある

でも私の中にも
私の中の悪魔がいて
ともこさんに
強く怒鳴ったりする加害者がいる。


ともこさんだけは
すごくカッとなると
なぐりたくなる
たたきたくなる
その瞬間
わたしは加害してきた
父、ひろしを自分の中にいて
とても
自分が破壊されてしまうほど混乱して
ころしたくなる

【ともこさんと私が対面していくだけではむりだ】
私はトモコサンを殴ってしまうかもしれない
恐怖だった


二人だけでは
うまく関係ができないのはなぜか考えたとき

第三者であるTさんと
ともこさんの接触をみて
Tさんがふつうに
ともこさんと大切に話をしてくれたり

Kさんも
せめないで
ともこさんを丁寧に
ゆっくりはなしをきいてくれた

ぶんじ寮でも
Sちゃんや
Yちゃんや
Mくんなど
いろんな人がともこさんと話してくれて
第三者の人がともこさんを人もして接してるのを見て
わたしの中にトモコサンが人として接してもらうのが当たり前という感覚が欠けていた
ともこさんならきつく言っていいいなど感覚が潜んでいた

歪みと生きてた

父に怒鳴られてる
ともこ
父にくびをしめられてる
ともこ
意地悪受けて当然な
ともこ
制限されてる当たり前の
ともこ
人として大切にあつかわない

第三者が
当たり前の中 
いきてる
ともこだった
私の脳の中の
刷り込みをほぐしっていった

※:*18年間のDV家庭の刷り込みが根を張っていた
自分ではどうすることがどんだけもがいてもできなかった※:*


そんなぶんじの三者仲間たちのおかげで
なんだかうまく言えないけど
見本をみせてもらってるように感じて

道しるべをすこしたててもらえてるように
感じて安心する体験を今している。

わたしはともこを虐待する
そんな感覚しかないのだ
とてもこわいのだ


もっと第三者に
人として
ともこさんが
大切にしてもらうところを姿をやりとりを見てこれからはいきたいな


ともこさんが
わたしが
人として大切にされて生きたことがすくないから
その時間よりもたくさん
人として優しく楽しく人と生きていけたらいいな
と思う

そして、
いつか
尊重や大切に
できる
優しい関係になりたい
と願う

被害者も加害者も1人の自分で生きていれば両方持つ
それが人なんだ

と思う

正義感でものを
語れば
被害者でいるけど
加害者の自分と対面して
人の弱さを知る

誰でも間違いや
失敗はある

人として
その人を許せなくても
いつまでも
責めない
人間でありたいと
思う

これが私の児童虐待ど家庭で生きて
支援者からの二次被害を受けて
DVと対面して
感じて
考えたことです。

人として
生きたい
人して
出会った人たちとも
繋がろう

これが
私のこれから
したいこと
被害者や加害者や障害者や社会的養護が必要だったかつての子供でなく

人と人で
これからも
傷ついても
繋がって
生きたい

どんなに苦しくても
どんなに傷ついても
それでも
私は未熟な人同士が重なってツナっがて
すれ違って
ぶつかって
そんなことをできる
人が好きだ

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