#169 騒めきと感覚〜福知山花火大会事故から10年を経て〜

もう10年も経ったか…とつくづく思う。

今日はおそらく、あの事故の事がこれまでの8月15日ほどニュースで取り上げられる事はないだろう。福知山には今日、台風が接近している。どう足掻いても人間は"現在"を生きなければならない。であれば、優先されるべきは当然台風の報道である。
……オカルトを信じるつもりは全くない。そういう趣味もない。だが、365日もある一年の中で、よりにもよって10年の節目を迎える今日に福知山に台風が来るのも、巡り合わせの偶然というか、どこか皮肉めいたものを感じている。

「2013年福知山花火大会露店爆発事故」──そう呼ばれる大事故から今日で10年となった。
あの日、私は現場にいた。…正確には現場という現場ではなく花火会場ではなく祭りの会場ににいただけなので、私の身に何かがあった訳でもなければ、その瞬間を見たり、あの場所の慟哭に触れた訳ではない。だが祭りとしての開催区域の中には確かにいたので、広義的な意味では自分もあの喧騒の中に身を投じていた事になる。
あの場所そのものにいた訳ではないので大した発見のない文章になるとは思うが、10年という節目もあるし、少し書いておこうと思う。


福知山という場所には実は私は縁があった。
親の親しい知り合いがそこに住んでおり、京都市からもそう遠くない場所ゆえによく行っていたし、今でも土地勘があると自信を持って言えるくらいには慣れ親しんだ場所である。特に夏になれば、あの場所では京都最大規模かつ関西でもなかなかのレベルの花火大会が実施されていた。花火大会の会場に行けば混雑するけれど、その知人の家のすぐそばには穴場があった。10年前まで、そこで見る花火大会はいわばうちの家にとっての風物詩みたいなものだった。


福知山ドッコイセ花火大会はその規模ゆえにそれがメインとして語られる事が多いが、位置付けとしてはあくまで福知山ドッコイセ祭りという盆の期間に行われる祭りの中の一イベントとして開催されている。なので花火大会は河川敷が観覧場所となるが、そこに繋がる公園や商店街にも露店は立ち並び、祭りの会場を抜けて花火大会の会場へ向かう道順になる。
花火会場は混むけど、ちょっとお祭り気分は味わおうじゃないかという事で、花火の前に商店街だけ一周して、そこから知人の家に戻るルートこれは毎年の流れだった。露店が立ち並ぶ商店街のエリアに行くまでは例年と変わらない花火大会だったが、細かい時間を把握していないので、本当にそうなのかは確認出来ていないが……お祭りのエリアに足を踏み入れた時点で、既に事は起きていたのだと思う。人の波は行き交うというより、これから花火大会が始まるというのに帰ってくる人が異常に多かった。その事にまず違和感を感じたのは今でも覚えている。

そしてその違和感が確信とまでは言わないが、何かがあったという事を知るまでに時間はかからなかった。
おそらく、現場から逃げるように帰ろうとした人は私達が商店街に入った時にはそこにはおらず、あの時点で公園や商店街にいた人間は、多くは私を含めて現場という現場には居合わせていない者達だったように思う。現場は地獄絵図と化していたであろうあの時も、情報がまだ届いていない商店街や公園では普通に人が列を作っていたし、自分も肉巻きおにぎりを買っていた。ちょうどその列に並んでいた辺りだっただろうか。情報は伝言ゲーム的に回り始める。
「花火が爆発して花火師が倒れた」──それが私にとって、事故の存在に初めて触れた瞬間だった。無論、この時点でもう高校1年生になっていたし、すれ違う人の会話で拾った情報を鵜呑みにはしない程度のリテラシーは持ち合わせている。ただそれでも、この時点では発表されていなかったが、おそらく今年の花火大会は中止になるであろう事、そして毎年欠かさず街の誇りとして開催してきた花火大会が中止となるほどの事があの場にいた誰もが察した。
この時点で、早い段階で現場から逃げられた人は商店街からも抜けていただろうし、逆に少し遅れた人はまだ河川敷付近の火の回らないところに滞留していただろうから、あの時の商店街には伝言ゲームでしか事態を把握出来ない人間が集まっていた。火を見た訳でもなければ、爆発を見た訳でもない。おそらく商店街まで危害が回ってくる事はない。回る情報は真偽不明でも、この商店街を抜けた先でとんでもない事が起きたのはわかっている……直接的な恐怖ではないが、あの鈍痛のような恐怖感はなんとも言えない感覚だった。


その人並みと同じように滞留していた騒めきを煮詰めたような空気感を裂くようにアナウンスが入ったのは、多くの人が事を察してからそこまで時間は経っていなかったと思う。
そのアナウンスはこの季節にいつも聴く、よく耳に慣れたいつもの女性の声だった。だがいつもと同じ声色はいつもと違う抑揚を孕んでおり、事の深刻さを痛感するにはいつもとのほんの僅かな違いだけでも十分だった。あのアナウンスでは、実際に花火会場で何が起こったのかまでは伝えられていない。伝えられた事は「今日の花火大会は中止になった事」と「祭りの時点では解放状態だった商店街の車道は、これから救急車両が多数通行するので全員歩道に戻る事」の2点だった。
河川敷の状況は知らないが、少なくも商店街エリアは多くの人が鈍痛のような恐怖心ゆえか、自分も含めて意外とパニックにはなっていなかった。アナウンスがあってからの人の流れは、後から振り返ればあんな事故がすぐ手前で起こっていた中でなかなかスムーズだったように思う。


まっすぐ戻り、知人の家。
Twitterもやってはいたが、当時はまだ今ほどTwitterがインフラとしての機能を確立していた訳ではなかったし、情報収集の手段としてTwitterを捉えていなかった事もあったので、とりあえずは夜の時間帯で最初に始まるニュースを待つ事にした。1〜2時間くらい尺のあるニュースなら、どこかで小さくとも触れてくるだろうと。そういう意味ではあの時点では、事故の規模を実態より軽く捉えていた部分あったのかもしれない。
21時、誰もが知るニュース番組、報道ステーションが始まる。「今日午後7時半頃、京都福知山市で…」その報はかの報道ステーションのトップニュースであり、その概要を古舘伊知郎が読み上げていた。あの場所のそばで起こっていた出来事が、全国ニュースのトップになるような出来事だった事を知ったのはその瞬間だった。
次々と映し出される舞台はよく知る場所ばかりだった。あの河川敷もそう、あの花火大会の名前もそう、福知山のレインボーブリッジだなんだといって軽くネタにしていた音無瀬橋もそう……数々の慣れた場所が、舞台として映し出される…それは実に不思議な感覚だった。


今振り返っても、自分のあの事故はかなり近い場所にいて、でも本当に近い場所にはいなかったせいか、逆に直接的な恐怖や映像を通して震撼する感覚とは隔絶された場所にいるような気がする。俯瞰的にあの事故を振り返れば別の感想も当然出てくるのだが、体験としての感想は「ずっと不思議な感覚だった」という掴みどころのない記憶になっているのだ。その感覚は断片的な情報だけしか得ていなかった中で商店街から帰ってきた時も、次の日に報道陣がひしめく河川敷に様子を伺いに行った時も、そして昨今、たまに花火が打ち上がるようになった今になっても変わらない。
……もしかしたら何か一つでも違う選択肢を選んでいれば、自分も現場という現場にいたのかもしれない。そう思えば……いや、どう転んでもやっぱり、自分の記憶の中であの事故は、恐怖でも他人事でもない不思議な体験だった……そんな歪な感覚に取り憑かれている。京都でも最大級の花火大会が姿を消したあの瞬間から、今でも。

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