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【オランダ移住】 いつか振り返ったときに

オランダに来てそろそろ50日が過ぎようとしている。

しかし、まだ慣れない。
道の歩き方や自転車での走り方、買い物の仕方、家での過ごし方、何もかもしっくり来ない。

あまりにも慣れ過ぎて新鮮味が無くなってしまったマレーシアでの生活も、やって来た当初はどうだったのだろう。

2009年の夏だっただろうか。
勤め先の専務と同僚の草川くん(いまどうしているのだろう)と一緒にクアラルンプールから車で40分くらいのKlangという町で生活を始めることになった。

そのころ取引のあったパキスタン人が手配してくれた家を借り、彼らの車も借り、彼らの会社のヤードまで使わせてもらった。

さらに言えば専務は、ビザ取得費用を節約するためにわたしと草川くんをこのパキスタン人の会社の社員にしてビザを申請しようとまでしていた。

その目論見は見事に外れてわたしは何度もビザ申請を却下され、2年近く経つ頃にはとうとうマレーシアのイミグレ係官に「お前、観光ビザで出入りしてるけど、絶対働いてるだろ?」と言われて別室に連れて行かれることになったが、それはまた別の機会に話したいと思う(忘れてなければ書きます)。

あの頃の自分は初めてのマレーシアでの生活をどう感じていたんだろう。

毎朝起きたら歩いてパキスタン人の会社に行き、裏のヤードでシンガポールから運び込んだ大量のパーツをカンボジア行きのコンテナに詰めたり、クアラルンプールで借りる自分たちのヤードや住む家の契約をしに動き回ったりしていた。

あの時はアン(Ann(安))という中華系マレーシア人がマネージャーとして働いていて、彼とわたし、草川くんの3人で専務の指示を受けてああでもないこうでもないとワチャワチャしていた。

そのアンは数年後に売上着服を理由に解雇したわたしを逆恨みし、強盗を雇って会社の売上を強奪するという行動に出て、無警戒なわたしはまんまとマレーシアの強盗たちから拳銃を頭に突きつけられることになるのだが、それもまた別の機会に。

1ヵ月のKlang滞在後に我々はクアラルンプールの外れにあるKepongという町に移動し、そこに自分たちのヤードを構え、家も借りて住むことになった。

それから14年、いま思い返してみても、いったいいつ頃からわたしはマレーシアでの生活に慣れたのかよく分からない。

4年目に会社を移転した頃から?
5年目に駐在から自営業に移行した頃から?
6年目に奥さんと結婚した頃から?
8年目に娘が産まれた頃から?
11年目にTTDIに引越した頃から?

…どうもやはり明確な区切りが思い付かない。

でも、14年ちょっとはやはりマレーシアに慣れるには充分な時間だったと思う。

マレー語も普通の会話はできるようになったし、マレーシアでの運転も日本より簡単に感じるし、もちろん買い物だって普通にできる。

でも、当たり前だけど14年前は違った。
マレー語はもちろんさっぱり分からなかったし、運転も本当に怖かったし、買い物ひとつするのもドキドキだった。

でもいつからだろう、マレーシアの生活にわたしは慣れた。もしかしたら日本よりも。

さっきDirkに行った時もあの携帯みたいな端末を持って買い物したかったけど怖くてできなかった。
自動レジでは会計終わったのに店員が来て全部の商品を買物袋から出されてちゃんとスキャンしたのか確かめられた。
なんで?と聞きたかったがそれもできなかった。

店から出たら早く家族3人でマレーシアにいた時みたいにオランダでも買い物できるようになるといいなと心底思った。
そしたらこんな暗い気分になることもないだろう。

いつか、もしオランダに長く居て、いつか今の自分を振り返る時が来たら、「あー、そういえばあの頃は慣れてなくて大変だったなぁ」と思えるんだろうか。それとも、いつまで経っても慣れることなくアップアップしてるんだろうか。

いつまでも慣れないなんてことはないとは頭では分かってるし、最初から新しい場所での生活慣れてる人なんていない。逆説的だけど、最初から慣れてるならそこは新しい場所ではないはずだ。

1年、2年、5年、10年…いつかふと立ち止まって振り返り、「ああ、俺もだいぶ慣れたなここに。あの頃は大変だったな…」と思える日が来ますように。

そのためにも足元をしっかり固めていこう。
いろいろ後回しにせずに面倒なことから少しずつ。
その先に「もう慣れたな」と思える日があるのだと信じて。

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