見出し画像

外国語。わかるとわからないのはざま

※この記事は投げ銭制です

今日はことばをめぐるエッセイ。

もくじ

■親戚の外国語:ロシア語とポーランド語

■なんとなくわかりあう:ロシア語とモルドバ語

■わからないけどわかりあう:ロシア語、英語、ポーランド語のちゃんぽん

■ことばへの潔癖さ:日本語と英語


■親戚の外国語

ロシア語が多少わかる。意を決してロシア語の勉強を始めて結構な年数がたっているのだけれどそのわりにはわからない。

わたしのロシア語の恩師は非常に情熱的で美しく、そしてときに激しいので私はときに泣きながら、語学学校に通っていた。そういう激しい記憶があるので、外国語の学習って人によっては楽しいものかもしれないけれど(小学生の時に通っていた英会話スクールはとてもたのしかった)、わたしの場合、ロシア語に対しては、美しくて苦しい思い出が多い。いまもとても苦しい。通訳、翻訳のたまごのような仕事を時々するのでよく英語と勘違いされるのだが、ロシア語である。最近なんとなく、これを何かしら仕事のきっかけにできるような光が見えてきたような気もするし、その一方でタマゴどころか自分のロシア語についてまだ未確認生命体のような気もするし、やっぱり道は果てしなくとおい。


ポーランドにいた。ポーランドの町の人はポーランド語を話すのだけど、なんとなくロシア語に似ている。

「夏」「くつ」「映画」「通り」「キノコ」「いいですよ」「ダメです」というのがロシア語そっくりの音だ。つづりを見てもわかる。名所旧跡の観光というより、町の文字をぼんやり眺めて萌えているうちに一日が過ぎてしまう。

コンビニみたいな店で店員さんが「ドアを閉めてください」とか叫んでいたりすると、もうそっくりで、ポーランド語が分からなくても理解できる。

ワルシャワの鉄道駅の構内アナウンスで「不審なものがありましたら係員にお知らせください、よい旅を!」とかポーランド語で言っていると、これもなんとなくわかった。


■なんとなくわかりあう

友人のカーチャ(ロシア人女性)がモルドバにバカンスに行っていた。Airbnbで家を借りて、彼女の家族、彼女の友達家族、合計6人で数週間過ごしたそう。

滞在中、彼女はよく、現地の人に町で道をきかれたという。病院はどこですか、とか。病院は彼女の滞在先の隣だったから、彼女も答えられる質問だった。


もちろん彼女もモルドバの言葉はわからないのだけれど、病院という単語はなんとなくわかるらしいのでカーチャはロシア語で答える。そうすると、なんとなく、音が似ているので、モルドバ人の相手の人も理解し、その場が解決するそうだ。

ポーランドの町の若い人は英語がわかる人が多い。年配の方はロシア語がわかる人が多いようだ。ホステルのフロントのお姉さんはとてもとても親切なひとだった。しかしポーランド語話者であり、ロシア語も英語もあまりわからない様子だったけれど、わからないなりに彼女は多少ロシア語も英語もわかるので、なんとかなった。


■わからないけどわかりあう

さて私は英語も苦手だ。通訳のタマゴを名乗っておきながら、苦手だ、と何も堂々と叫ばなくてもいいのだけれど、ロシア語を数日しゃべっていると英語が喋れなくなり、その逆もしかり。ロシア語だけ何日も読んでいればロシア語が喋れなくなり、喋っていると読めなくなる。単純に修業が足りないんだと思う。

先日、記事の執筆の関係で、某雑誌のロシア語版の記事を訳してだしたら、ついでに英語版もチェックして頂戴、と上司に言われた。しかしとても上司には言えなかったのだが、その日の私はnowとhowの違いすらわからないレベルだった。だって形が似てるじゃない。東京の地下鉄で先日、人様のTシャツにeveryone って書いてあって、エブリオネってなんだっけ、と数十分悩んだ。その後英語の記事を必死に読んで、(おそらく無事に)納品した。後日知ったことだがその上司も英語を相当努力して勉強していたので、下手に愚痴らなくてほんとうによかった。

ポーランドでの話に戻る。この町ではなにかを話さないと生きていけないので、英語とロシア語ちゃんぽんの怪しい言葉をしゃべる。

なんとなく、通じる。そしてわからないなりに、いろいろ親切にしてもらえて、わからないなりに、なんとかなる。

ポーランドの田舎町で友達がバス車内で私を待っていてくれて、でも満席だからバスは発車しそうで、私たちが引き剥がされそうになったときも、運転手さんに「友達が待っているんです!!」とロシア語で叫んだらなんとか入れてもらえた。

ポーランドの田舎町で私が怪しい言葉をしゃべっても、店の店員さんはだれも動じない。親切になんとかしてくれる。自分が意を決してロシア語か英語でえいっと口をひらいてはじめて、キミ英語しゃべれる?と聞かれたり、英語のできる店員さんを、わざわざつれてきたり、してもらえるのだ。コミュニケーションの勇気をさぼってはいけない。

そういうわけでその町で私はノートパソコンを買ったりと、旅先にしては結構大きな買い物もしたし、どっぷりすごしていたのだけれど、トラブルは何も起こらなかった。居心地がよすぎる。


■ことばへの潔癖さ

友人のロシア人女性、サーシャが5月に日本に旅行に行った。彼女は日本語を勉強していて、ひらがながよめて、日本語であいさつができる。

元気に楽しく日本で2週間過ごして、帰ってきた後、感想をきいたら、こんなことをいっていた。

「日本の人は、英語で道を聞くと、指をさして、ぱっと、逃げてしまう。日本語できくと、手をとって、わかる場所までわざわざつれていってくれた」

思うに日本の人って、自分もふくめ、外国語にたいして、ちょっと潔癖すぎるかもしれない。彼女が英語できいても、指をさせるぐらいに質問が理解できるなら、手をとってつれていってあげたらいいのに。

英語ぐらいできなければ。

というフレーズを時々聞くが、私にはこれがとても暴力的に聞こえる。語族の違う言語を、もともとマルチリンガルでもない日本人がそんなに簡単に身に着けられるはずない。自腹で本を買ったり、自分で地道に単語を覚えたり、まいにち地道にラジオ講座を聞いたり、ブツブツ発音して、たくさんの時間を投じる必要がある。

ぜんぶわからないけれどちょっとわかる、というのも楽しい。そして通じあえる。それでもいいじゃないか。できない自分を責めてばかりいたが、そういう自分も、ポーランドのおかげで、ちょっと許せるようになったかもしれない。



---

はるかさんのおすすめ


※この記事は投げ銭制です

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

Спасибо Вам большое:)♡!!! ありがとうございます:)♡!!!