スクリーンショット_2019-06-23_10

造船所から起業家へ、留学で人生の意思決定が変化した。-株式会社Blued代表 田中彰太-

"Fail First"早いエラーが、その後の人生を劇的に変える。私達にとって失敗は恐ろしく、誰もが必死に避けようとする出来れば遭遇したくないもの。スーパーマリオのブロックの様に、人生における失敗は軽々しく飛び越えることが出来ないかもしれない。だが少しの失敗で、人生のゲームアウトを迎える事はない。ブロックを超えた瞬間、はるか想像を超える新たなステージが広がるのだ。

人生に失敗は付き物だが、その失敗をいつどこで超えるか。私達は自身の環境を選ぶことができる。山口県の造船所からアメリカに渡った田中氏が、起業してから沢山の失敗とそれ以上のドラマチックな体験をすることが出来たのは、彼が自ら新しいステージに挑戦したから。このまま今見えているステージで小さな壁を超え続けるのか、新しいステージで自分をアップグレードさせるのか、今のあなたの決断が今後のあなたを築いていく。

留学前の田中さんはどのような方でしたか?

山口県の下関で小1から18歳までずっと野球をやっていました。野球部の先輩にもプロになった方がいて、自分もずっとプロを目指していました。野球を辞めてからは地元の造船所で働き、ずっと遊んでいましたね。2年程その生活をし、ふと夢が無いことに気づいたんです。そこから夢を探そうと仕事帰りや土日は図書館に籠って色んな仕事の本を読んでいました。その中でもしっくり来たのは起業家の本、特に孫正義さんの本にはかなりの影響を受けました。孫さんが三種の神器に営業・コンピューター・英語を挙げられていたので、直ぐにパソコンを買って駅前のAEONに通い始めました。

彼ら起業家の本を読んで、自分も起業家になろうと決めたのが19歳の10月10日。その独立記念日から今まで自分が描く会社を作ろうと走り続けています。

留学を決めたのは、英会話がきっかけですか?

そうそう、もう可愛い感じ(笑)僕は留学という言葉も知らなかったので、AEONの同じクラスの人たちに留学って言うのがあるらしいよと。「そういえば孫さんも留学していたな、サンフランシスコのUCバークレイに行ってたな」と思い出し僕もそこに行こうと決めました。非常に単純ですが(笑)
留学を決めたのが21歳でした。2年ほど親父の反対にあったので実際に出発したのは22歳の時です。

ご家族をどの様に説得されたのでしょうか?

「だったら借金してでも行くわ」って言いました。父からは「借金は勘弁してくれ」って言われましたが。まずは母を説得させて、母に父を説得してもらいました。

社長から見て、地方の人達の海外や留学に対する認識はどう感じますか?

うーん。やっぱり地方の方は、怖いんじゃないですかね。例えば僕でいうと、高校は一応公立なのですが、約120年の歴史の中で当時大学留学したのが僕1人だったんです。それくらい留学に対しての免疫がないんです。過去に事例が無かったので、大学に提出する英文成績証明書を取り寄せるのに2ヶ月かかりました(笑)。

地方の人が留学への免疫が無いと言うのも、お父様の反対につながったのでしょうか?

そうですね。おそらく2点理由があって、1つは自分の父が海外に行ったことがないから。出張で中国に行くくらいで、海外に免疫がない。だから分からないことによる不安感ですよね。2つ目は就職です。とはいえ、当時は造船所に就職していたので、「なんで辞めるんだ?」「就職はあるのか?」と、その先の心配をされました。

社長から見て、そういった地方の人たちが海外に飛び出すために必要なことは何だと思いますか?

もうすごくシンプルに、周りにそういう人が増えるかどうかだと思います。そういうコミュニティに入るかどうかっていうのが1番。多分根性論とかじゃないと思います。飛び出す勇気ももちろん必要ですが。結局僕もAEONにいたのが留学する1番の理由なので。周りに留学経験者がいると、リアリティーを持てますよね。

留学中、今の社長を形成する様な印象的な出来事はありましたか?

印象的な出来事ですか。えぇ・・・・ない。(笑)
でも、とにかく現地でいろんな起業家に会いましたね。僕が起業したいっていうのを友人達も知っていたので、みんなが情報をくれていたんです。「あそこに面白い経営者がいるらしいよ」とか。
マウンテンビューのレッドロックカフェ、大学の近くなんですけど、そこはシリコンバレーのど真ん中なんです。そこに起業家さんが集まっているらしいと友人が教えてくれました。だから、僕もいつもそこで宿題してたんですよ。そこで隣に座った起業家とかに声をかけてました。Dropboxの創業者なども普通にいましたし。Starbacksで座って勉強していたら、スティーブ・ジョブズと一緒に創業したスティーブ・ウォズニアックが普通にいて、声かけたら話してくれたりだとか。アメリカ、特にサンフランシスコってそういう町なんですよね。それがすごく自分の中では新鮮でした。

特に影響を受けた方はいらっしゃいましたか?

やっぱりうちの社外取締役、玉置さんじゃないですかね。自分で会社を上場させたりだとか、海外で再度上場させるためにビジネスモデル組んで勝負したりしている人っていうのは、当時の僕は直接知らなかったので、初めてそういう人に会って衝撃を受けました。そもそも、玉置さんの本も、友達がくれたんですよ。「面白い人がいるから、読んで見たら?」って、実際すごく面白くて、玉置さんに直接メールしました。インターンシップは何回もアプローチしましたね。最初「インターンはいらん。お前の英語力じゃ無理」って言われましたが(笑)「無給でやるんでお願いします」と粘ってインターンを始めました。もう根性論ですよね。

無給で働くことに関して、どうお考えでしたか?

半年間ずっと無給でした。僕の中では無給でも何でも、とにかくそういう人に近づいて、何かヒントを得る目的で働いていました。そのために留学もしてるわけですから。僕は21歳で留学したのですが、普通の人、僕の親友でいうと例えば16歳で飛び級し、短大に来てるわけですよ。僕は21、香港の親友は16歳。そこですごい劣等感というか、焦りがあったんです。

自分は普通の留学生とは違うと思って、人よりも早く取り掛からないと絶対に勝てない、と日々悶々としていました。本当に藁にもすがる思いで、玉置さんに付いて行きました。

語学留学と海外インターンで得られることの違いはありますか?

うーん。僕はその、インターンシップをしたから特別何かを得られるとは思ってないですね。”インターンシップで何を得たいと思ってるか”だと思うんですよ。
僕は正直、インターンシップの目的は、玉置さんの近くで働けば何かを得られると思って、飛び込みました。インターンで現地のアメリカ人たちに聞かれたのは、「しょうたは、明確に何を求めてここに来たんだ。何の力を付けたいんだ。明確な答えをくれ」って言われたんですよ。僕には明確な目的が無く、玉置さんのそばにいたいっていうのが純粋な気持ちだったのですが、彼らにとってそれは不十分で、甘いって言われたんです。「玉置さんの横で、具体的にどんな力を得て、お前の人生にどういう風に活かすのかっていうことを決めないと、お前のインターンシップの意味はないんじゃないか」と言われ、アントロプレナーシップ、起業家精神を学ぼうと決めました。業務だけでなく、玉置さんにくっついて企業家精神を学んでいました。

住み込みで働かれていらっしゃったのですよね?

そうです。寝ないんです玉置さん。朝から晩まで仕事しているのに、家帰っても仕事して。それをずっと側で見ていました。毎日2、3時間くらいしか寝てない。「寝たら負け、寝てる間もやってる奴がいるって思ったら、寝れないんだ」ってことを夜言われてて、もうこの人半端ないなと…

インターンシップ中、玉置さんのそばにいて1番印象に残っていることはなんですか?

起業家は孤独だと夜星を眺めながら言われていた事ですかね。孤独で辛いから、お前はこんな仕事するんじゃないって言われました(笑)。
正直、彼もゴルフダイジェストオンラインっていうサイトを4年くらいで上場させてるんですよ。時価総額400億くらいにさせて、すぐ辞めてるんです。上場の鐘を鳴らした翌日に朝起きて、鏡に映るぶくぶく太った醜い自分を見て、なんで僕はこんな状態になるまでアホみたいに働いてたんだろうと思って辞めたと言ってました。そこが凄く印象的でしたね。そういう醜い状態になってもお前は会社をやりたいのかって聞かれましたし。楽しいとか面白いとかで起業は出来ないと言われました。理不尽なことばっかりだし、辛いことばっかりだし、それを共有できる人も周りにいないと。だから起業家同士ってつるむんですよね。

それでも起業家として続けられるのは、強い目標があるからなのでしょうか?

そうですね。僕も楽しいから続けているというよりも、その目標があるから今まで続いて来ているんです。目標のためには、途中で理不尽だろうが辛かろうが、手段は選ばない。だから「起業して楽しいですか?」っていうのは、僕たちからするとそこじゃないって思うんです。
玉置さんに「目標を達成するためなら、苦しくても楽しくなくてもやって行ける」というのを言われていたのも、そう言う事だったのだなと、今だから思います。

これから留学する人に伝えたいことをお願いします!

とにかく行くこと!(笑)早く行くこと!

やはり年齢は重要なのでしょうか?

はい、僕はそう思います。脳みそが柔らかい、ソフトウェアが出来上がる前に、色んな価値観に触れた方がより柔軟になりますから。あと、早く行く方がその後の自分の人生の意思決定が早く変わるじゃないですか。なのでこの先の1年、2年を既存の延長線上で過ごすのか、それとも留学をしてその先の1年、2年を非連続な成長に持って行くのかはその人次第ですよね。スピード感持って行きたい人は早く行った方がいい。僕も本当早く行っとけばよかったなと思います。

早く色んな事を経験して失敗した方がいい。Fail Firstですよね。早くエラーしておいた方が、その後の人も劇的に変わってくると思います。

本当に留学で人生は変わると思いますか?

いい質問ですね。僕は留学で人生は変わると思います。田舎の人は特に。何故変わるかと言うと、自分の価値観が変わるからだと思います。たとえば僕の場合は、そもそも野球少年だった。監督や先輩にとにかく「ハイッ」と言う、カーストの元で過ごしていました。それがサンフランシスコ行くと、年上の人ともファーストネームで呼び合い、話し方も丁寧にするくらいで、基本フランクじゃないですか。それぞれが様々な宗教を信じたり、ゲイにナンパされまくったり、晴れの日に女装している男性が傘さしてたり。でも、それを見て誰も指差したりしないわけじゃないですか。もんかもう、この町めちゃくちゃだなみたいな(笑)それで価値観がブワーッと変わりましたね。もう自分らしく生きようと思って。
価値観が変わると考え方が変わり、考え方が変わると意思決定が変わる。意思決定が変わるとやっぱり行動が変わる。間違いなく人生は変わりますね。

プロフィール

田中彰太
サンフランシスコにあるFoothill Collegeを中退。在学中にSatura Cakesハワイ店にてインターンを経験。2010年に株式会社リジョブに入社。本社営業リーダーと新規事業企画統括を兼任。同社を退職後、インバウンド・アウトバウンドの留学・移民インフラ事業を運営する株式会社ブルードを設立。