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フジコ・ヘミングのコンサート

 一度、生で聴いてみたいと思っていた、フジコ・ヘミング。昨日ようやく叶いました。

 今週はずっと何かに追われて気持ちがささくれ立っていたので、落ち着いてまともに聴けるか心配だったのですが、彼女が弾くピアノの、ほわんと広がって包まれるような響きにとても癒やされました。またサントリーホールという素晴らしい会場、さらにべーゼンドルファーのピアノという組み合わせで聴けたのもラッキーだったのかもしれません。

 エスコートとともに、ゆっくりと歩いてくるおばあちゃんだけど、シューベルトを弾き始めると、ウソみたいな速さの指さばき。その場で糸を紡いでいるみたいに細かく美しい旋律が次々と流れ出てきました。
 いっぽうモーツァルトは、打鍵の勢いにびっくり。ピアノって、そういえば打楽器でもあったな・・・って思い出すくらい。力任せに抑えるんじゃなくて、勢いを使ってハンマーを打ってカーンと弦を響かせてーーくっきりと浮き立つ旋律。
 それがショパンの曲になると、また最初のこまやかな弾き方に戻って、まるで風が吹いてるみたいな音楽に聞こえました。
 「別れの曲」を聴きながら、彼女はいつまでピアノを弾き続けるのだろう・・・こんな美しい音楽を、私たちはいつまで受け取ることが出来るのだろう・・・そんなことを思って、今日、こうして聴きにこられてよかったと涙ぐんでしまいました。

 フジコ・ヘミングの音には彼女の生きてきた人生の、膨大な時間と経験がぎゅっと凝縮されたような重みがありました。時の流れのなかで、磨きぬかれた曇りのない音。キラキラと飾り付けられているのではなくて、遠い宇宙から、はてしない時間を経て届く星の光みたいな、まっすぐで澄んだ音。それが今ここで鳴っているというのは、まさに「奇蹟」と言わざるを得ません。

 後半はドビュッシーの「月の光」に「雨の庭」、どちらも好きな曲で嬉しかったです。月の光は、個人的にはぽわんと甘いイメージを持っていたけど彼女はシンプルに(「月影さやかに」って感じで)弾いていて、モチーフになっている旋律が印象的に繰り返されました。以前観た「フジコ・ヘミングの時間」というドキュメンタリー映画を思い出しました。夜、部屋で一人ピアノを弾く彼女の姿。

 その後、リストを弾いているうちに、だんだんと音が研ぎ澄まされ、あたたかみのある音から、クリスタルのように鋭く透明な響きに変わっていきました。その、磨かれた宝石のような音で弾く「ラ・カンパネラ」。さらさらと流れ落ちていく砂を一粒一粒数えるみたいに丁寧に、繊細な音の粒を連ねていました。


 もう数えきれないほど演奏されてきたであろう、彼女のラ・カンパネラは「完成」していました。
 音楽はどんな時代のものでも、まるでその日初めて生まれたかのようにいきいきと新鮮な演奏ができたら良い、と思っているけど、フジ子・ヘミングのピアノは一味違って、円熟していて、それが変わることなくずっと続いていくような…「永遠」を感じました。

 少なくともわたしの人生においては、彼女の音は心の中にずっと残っていくと思います。

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 今回は両親を誘って、3人で行きました。フジコ・ヘミングのCDは子どものころから家にあったし、テレビ番組とかも見ていたので、好きなのかな?と、ちょっとした親孝行のつもりで…2人とも喜んでくれたみたいで、良かったです。

 コンサートのあと3人で食事をしているときに、父が「難しい曲とかでなくていいから、惹きつけるようないい音で弾けるといいよね」みたいなことを言いました。え、わたしも普段から全く同じことを考えてたんだけど…。親子だから!?


#日記 #音楽 #フジコヘミング #ピアノ #クラシック