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今日も青はブルー#556 疼く五月(1)

先月、祖母が亡くなった。
たまたま、僕たち夫婦は、第二の故郷である松本に車検で帰っていた。2人で交代しながら2日もかけたのに、車検自体は一時間ほどで終わり、その後は、桜で一面包まれる古墳に行ったり、大切な場所に行き、懐かしい人と美味しいものを食べたりした。

その帰り道、大阪で、スーパー銭湯で、祖母の命がもう長くはない、と家族ラインで知った。そして、翌日には、ケア病棟で最後に対面。祖母らしく指でOKのマークをつくってくれた。

その後、東京出張にすぐに行ったのだが、夜中にまたもラインで訃報の連絡を受けた。迷いもあったが、出張後の予定を切り上げて、祖母に再会しに行った。今生きている人にも会えたし、なかった喪服も従兄弟にもらえた。

最後に祖母が持っていた、祖父の写真。そう、僕は大のおじいちゃん子だった。祖父の時は、全く泣けなかった。現実味がなくて、周りで泣いてる人を見て、呆然としていた。

祖母に触れようか悩んで、母に触ってあげて、と言われ、そして、冷たい額に触れた。伝えたいことがあった。でも、恥ずかしくて言えなかった。

別れの時、不謹慎かもしれないが、火葬する直前の部屋は、なんだか宇宙エレベーターか何かの発着場のようだった。そしてもう一度、祖母に触れられることができた。

「こじいじと、仲良くね」と伝えた。

祖母への言葉ではなかったかもしれない。僕が、生きている僕たちが、愛し合って生きていけるように、よく言えばおまじないをかけたかっただけだ。

祖母の骨は、太かった。燃えた後の熱さと、外の雨の冷たさのギャップが印象的だった。

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