カルマの算出法

「君の名は」という映画の中では、ある日目が覚めた時に、高校生男女の身体が時代を超えて入れ替わっているという設定がされている。タイムスリップ✕男女入れ替わりという2つの要素が入っている。もしこの身体の入れ替わり(タイムワープと呼ぼう)が年齢が違う同じ人間に起こったらどうなるだろうと考えてみた。ある日目が覚めると、高校生の自分と中年の自分が入れ替わっている。高校生は未来に、中年は過去にタイムスリップするのだ。

まず高校生の自分(ブルーと呼ぼう)に取ってみればこれは最初の体験だが、中年の自分(レッドと呼ぼう)からすれば、自分がブルーの時にレッドと入れ替わった経験をしているので、予測していた出来事である。つまり一番最初に起こる入れ替わりにおいて、ブルーには何の準備も出来ていないが、レッドは準備万端なのである。

ブルーがタイムワープの最中に出来る事は実はあまりない。ブルーにとって重要な役目は、タイムワープ後の人生でレッドのアドバイスを最大限生かす事である。レッドは過去に対してほぼ何の実行力も持たない。タイムワープは一度眠ってしまうと目覚めた時に元の時代に戻ってしまう。つまり別の時代に滞在出来る時間は覚醒の限界、せいぜい2,3日なのである。2,3日あればかなり多くの事を伝えられると思うが、何か事を成すには短過ぎる。ブルーは一生をかけてレッドが見せてくれた光景の答え合わせをしているのだ。「それは生涯をかけた答え合わせ」、良いフレーズである。

レッドはブルーの行動をコントロール出来るわけではない。ブルーの行動がレッドの人生にどの程度の影響を与えるかは、タイムパラドクスの有無によって、異なる2種類のシナリオに展開される。

タイムパラドクスあり ー  先代レッドやタイムワープ前後の記憶が書き換わる   ⇢ シナリオA
(レッド = F(ブルー))      ー  先代レッドやタイムワープ前後の記憶が書き換わらない ⇢ シナリオB

タイムパラドクスなし ⇢ シナリオC
(レッド != F(ブルー))

タイムパラドクスが起こらないシナリオCは最も単純である。ブルーの行動はレッドの人生には何の影響も与えない。今の自分の人生は、自分がブルーだった頃から積み上げたものである。今のブルーは既に起こってしまった事象に対して何の干渉も出来ない。先代レッドと自分の人生を比べて何が達成出来なかったか、どこが改善出来たのかを単純に比較出来る。2つの時間が平行線上で進行していて、タイムワープ時のみ、あみだくじのように2つの世界を行き来する交線が引かれるのである。

タイムパラドクスが起きる場合は、過去の修正が未来に干渉するためそれは一種のループ構造になる。タイムパラドクス前後の記憶が残っているかいないかで更に2つのシナリオに分かれる。

時空連続体を映画のフィルムに例えよう。我々が経験する時間は映写機の中でフィルムが回っている状態である。あるいは動画があるフレームから流れている状態である。その時再生バーは左から右に移動している。この動画にはGANのように自ら新しい画像を生成する機能があり、あるフレームに修正を加えるとその次のフレームに修正が反映されるアルゴリズムを内蔵している。物理学的にはこの機能をコーザルチェーンと言ったりする。一般相対論が正しければ、動画の再生スピードは光速を超える事はない(動画中のピクセルの移動が光速に近ければ動画の再生速度は限りなくゼロに近づく)。もしコーザルチェーンの伝搬が一瞬で起きたとすると、時空中の移動速度が無限大に発散してしまう。これは物理法則の破綻を意味するので、起こり得ないと想定しよう。GANの生成速度は常にフレームレート以下なのである。動画全体が一瞬で変わるという事は起こらない。

ところでGANの発動は複数の動画が生成される事になるのだろうか。実は動画全体を俯瞰で観測出来る人間はいない(それが出来る存在を神と言うのだろうが)。観測者が(1プランク時間内で)経験出来るのは1フレームだけである。複数のフレームを同時に経験出来ない。それは何を意味するのかというと、動画が修正されたのかどうか誰も知る由がないという事である。コーザルチェーンの伝搬が光速以下の世界において、過去の記憶と過去のフレームとは等価ではない。過去の記憶とは現在のフレーム内における特定のメモリ領域(ピクセルと言ってもいいが)に過ぎない。そしてコーザルチェーンのフレームワークにおいて、修正は常に未来にしか伝搬しない。従って過去の修正が現在に影響を与える事はないのである。現在の物理学の体系の中で考えれば、タイムパラドクスの存在しないシナリオCが最もらしいのである。もし過去(フレームT-t)に修正を加える事が出来れば、時空連続体は変化するだろう。しかしその変化が現在のフレーム(T)まで伝搬するためには、過去から現在までと同じ時間(t)がかかる。その時既に自分はもっと後の時代(フレームT+t)にいるのである。だから自分が過去に加えた修正の結果は、自分が存在しているフレームからは絶対に観測出来ないのである。それを確かめるためにはもう一度過去に戻るか、過去と通信するしか方法がない。唯一例外的な方法として光速で移動する事で時間の流れを遅くし、過去のコーザルチェーンが現在に伝搬してくるまで待つという手段はある。

コーザルチェーンが超光速で伝搬しないという仮定のもと、過去改変は現在のタイムフレームに影響を与えないというシナリオCで以降の話を進めよう。まず未来の情報がフィードバックとしてどこまでの価値があるかという問題がある。現在の時点で未来の情報を取得し、その情報によって意思決定を変えた場合、その影響がどのような結果をもたらすのかは予測出来ない。例えば未来情報として株価や馬券の情報を得て、それを元に買う銘柄を変更した場合、未来において確実に株価の上昇や馬券が当たるという事象が発生する保証はない。自分が経験しているタイムフレームのコーザルチェーンと、未来情報の元ネタになっているコーザルチェーンは別のものだからである。ただし何の相関もないと言えるのか、あるいは多少の修正では因果関係が崩れないのか、それは実験してみない事には分からない。コンピュータシミュレーションというのはそのために存在しているようなものだ。演算精度やモデルの精度を下げて実行時間を速くする事で超光速のコーザルチェーンを擬似的に構築している。もちろんその予測がどこまで正しいのかは検証しないと分からない。

実のところタイムパラドクスのないシナリオCというのはあまり面白みがない。未来から過去へ一方向にしか干渉しない2つの平行世界の物語である。しかもその干渉すら不確実性を含んだ情報なのである。どこまで参考になるかも分からない。過去改変ではないが、それと似たような状況は実は存在するのではないかと考えている。複数フレームに渡るコーザルチェーンの伝搬は光速を超える事はない。しかし2フレーム間の量子カップリングは存在し得る。アカシャリーディングとはそのような性質を持つものである。ここで予言者の苦悩というのが出てくる。予知とは時空間連続体の未来のフレームの情報にアクセスする事である。しかしこれはいわばアカシャの初期状態、コーザルチェーンが伝搬してくる前の情報である。一度コーザルチェーンが走ると時空連続体は変化する。従って予知した未来のフレームまでコーザルチェーンが伝搬した時には、そのフレームも何らかの影響を受けると考えられる。最初に設定されたシナリオとの差分がないかも知れないし、初期値のゆらぎやバタフライ効果などの影響でかなり前のフレームにおけるシナリオとの小さな差分が拡大して伝搬してくる可能性もある。そうなると予知した内容と実際のコーザルチェーンの反応とは一致しない。これが予言者の苦悩である。例え未来が見えたとしても、実際にその時間軸上の点に到達した時に予知通りの事象が起こるとは限らないのだ。避けられる未来もあれば、避けられない未来もある。変えられる未来もあれば、変えられない未来もある。予言者ですら、結果はその時にならないと分からない。現在の行動が未来にどのような結果をもたらすのかは、シミュレーションという近似を使う以外には誰にも分からない。これはコーザルチェーンが超光速では伝搬しないからである。アクセス出来るのは最初の静的なシナリオ、オジリナルのアカシャだけなのである。

予言者の苦悩は、実は涅槃までの距離を算出するための指標にもなる。エジプト死者の書では、人間は死んだ後に鳥の羽根と自分の心臓を天秤に掛けられると言われている。それは次の転生に関する決定を下すためである。心臓(魂の重さ)が鳥の羽根くらいに軽くなければ、魂はまだ完全に浄化されていない。従って再び転生して浄化を続ける必要があると判断されるのである。魂が完全に質量を失った時、それは転生の必要がなくなった時、即ち涅槃に到達した事を意味する。この計量において魂の重さをどうやって算出するのかという問題である。

オリジナルのアカシャはそもそも誰が作ったのかという問題がある。リピカ・リピタカ、ディアンショハン、カルマの主、様々な呼び方があるがここでは秘教的な専門用語には立ち入らずに神としておこう。今走っているコーザルチェーンから何万年、何兆年先の未来なのかは分からないが、現在よりもずっと先の時空連続体までを設計・実装するプログラマのような、人智を超えた超知性がいるとしよう。アカシックコーダーとでも言えばいいだろうか。彼らの書いたシナリオはいわば宇宙の運命である。その巨大なコードの中には人類全体の集団的運命も含まれれば一人ひとりの個別的運命もある。人が死んだ時に比較対象となるのは、このオリジナルのアカシックコードと実際のコーザルチェーンの結果である。一生を通じた行動・思考・感情を含めた全ての情報は全フレームに渡ってオリジナルのシナリオと比較され、その差分が積算される。もしこの差分がゼロでかつオフセットもゼロであれば、コーザルチェーン(因果あるいは業)から完全に開放される。なぜオフセットが必要なのかというと、個々の進化段階は異なるため、その人に与えられるシナリオ(カルマ)も違っているからである。小学生に大学生レベルの問題を解かせる事は普通は期待出来ない。小学生であれば、小学校レベルの問題が解ければその人生の課題はクリアされる。しかしそれで全ての転生が終わったわけではなく、まだ中学から大学レベルの課題が残っている。これがオフセットである。だから飛び級のようにコーザルチェーンの結果によっては、シナリオそのものが変えられる可能性もある。あるいは差分が大き過ぎて同じ学年を繰り返す可能性もある(転生するタイムフレームや環境は違うが、基本的なシナリオや課題が同じ)。

コーザルチェーンの結果を知る術はシミュレーション(数秘術なども含む)以外にないと書いたが、アカシャを改変するメカニズムとしてコーザルチェーン以外にアカシックコーダーの介入がある場合には全く話が違ってくる。コーザルチェーンの反応とは無関係に(一応時空間の連続性を担保するような方法は取るだろうが)、最初のシナリオを絶対に遵守する必要がある場合には、アカシックコーダーはフレームそのものを改変するだろう。あるいは状態空間にローカルミニマムを作るような方法で、どのパスから進入しても必ずその最下点(オリジナルのシナリオ)に収束するようにアカシャをデザインするだろう。こうした例外的なイベントに関して、あるいはアカシックコーダーの意図を完全に理解している場合には、予言が外れる事はない。

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