Fake Religious 7


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「限定された場所」で

「権力が集中化」した時

 そこは ”宗教” になる。

 それは、ダンスの世界でも

 まったく同じ




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< ダンスの村社会の独自ルール >

①「女はオモチャである」

②「大麻賞賛」

③「例外なく、男に権力が集中する」

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(動画を拝借します。)




④「懐古主義である」

ダンスの世界も広いので様々あるにしろ

自分のいた「ダンスの村社会」というのは

例えるならば

「歴史しか勉強しない学校」のようなものであり

歴史上の人物を絶対崇拝することしか認められない。

また、2018年の今現在に至っても

その歴史上の人物が行った「手法」「技術」を

ことごとく「真似する事」が良しとされている。

なので

体操競技でよく新しい技に名前がついたりするけれど

ああいったことは一切ない。

とにかく「歴史上の人物の絶対崇拝」であり

「手法」「技術」の発展は一切認められない。

これが「ダンスの型」優先の「村社会」である。





なので、自分の場合は

「音楽が最優先」型なので最初から「邪道」であった。

歴史についての自分の捉え方としては

「昔の人の功績は”あくまでも昔の時代の功績”であって
 今の時代にその功績がそのままマッチするかは話が別である」

と捉えており

「あくまでも”その人物”の技術と手法であって
 それが必ずしも”自分”に合う手法・技術であるとは限らない」

とも捉えていた。

総合的に、「音楽が最優先」型である自分から見ると

「時代錯誤であり、全ての人間にそれを押し付けるほうがおかしい」

ぐらいに思っていた。

音楽は時代とともにいつも新しい音楽が生み出される。

その音楽を表現するわけなので

ダンスも常に新しいダンスが生み出されないとおかしいはずである。

それを一切認めないというのは

「技術進化の否定」であり、「業界の思考停止状態」を表す

と、自分はずっと思っていた。




自分は”ダンサーとして”も「数学が好き」な人間だった。

ダンスに言葉はいらないので

現役中ダンス理論について深く自分の口から語ることはほぼなかったけど

理論で語らせれば

おそらく右に出る者はいないんじゃないかと思うぐらい

ダンスをわりと理論的に考えていた。

自分の口で語らなかった理由は

「歴史オンリーの人間に数学の話をしても無駄」

と考えていた為である。

なにかを盲目的に崇拝している人間というのは

必ず「思考停止」状態に陥る。

その「思考停止」状態の人間は、例外なく排他主義になるので

自分が信じているもの以外は絶対に認めない。

なので、「思考停止」状態の人間は

「他者の多様性」というものを考えることが出来ない。

だから、数学の話をいくら分かりやすくしたところで

聞く耳など持つはずがないのである。






また、「真似をすることが良しとされる」

真似をすることで出来たものというのは

当然「コピー」にしか過ぎない。

自分の場合は最初からコピーになる気がさらさらなかったので

ある技術を他人から教えてもらっても

必ず「自分に合うように」改良を加えていた。

それが

「歴史の絶対崇拝」ダンサーからは「気に食わない」とされていた。

自分にはまったく理解が出来ない考えだけど

「コピーにならないことはディスリスペクトを意味する」

と捉えられるらしい。

他人の踊りを観ていて

「この人っぽい」とか「先生はこの人だろうな」と

すぐにわかるダンサーが結構な数いる。

それは

「コピーを量産することに快感を覚えている」教祖と

「コピーになることがステータスと勘違いしている」信者が

いかに多いかを表している。

そこそこの年数やってきているダンサーがコピーのままというのは

本来であれば「かなり異常なこと」である。

でも、「思考停止」状態なので

それに自分で気が付けない、教祖が気が付かせない

まさに「洗脳状態」の完成である。

どうも

「真似する」=「何かを学ぶ」

「真似ができる」=「何かを学んできた証拠」

と捉えているフシがあるように昔から強く思っている。

これは数学の話でいうと

「他人がした証明をそのままそっくり書き写すことが出来る」

ということに等しく

ただ写生が出来るだけであって、

自らの頭で考えて何かを体現できる能力とはかけ離れる。

「ダンスの村社会」全体がこういう状態であるため

技術進化など出来るはずがなく

「技術進化の否定」をすることで村社会の秩序を保っているのが

真実である。



自分はこういう”ダンサー”だったので

懐古主義の絶対崇拝にことごとく嫌気がさしていた。

歴史は知っているけど自分は数学のほうが好きだったというだけなので

歴史を重んじないことがディスリスペクトにはならない。

なにを優先するか、ただそれだけの話である。

また、

自分に対する価値観の強要はハラスメントでもあった。

自分は「技術進化」を重視してきたダンサーである。

なので当然他のダンサーも「技術」で見る。

どんな教祖であろうが、どんなに絶対崇拝されているダンサーだろうが

「技術」で見る。

それが「懐古主義ではないダンサー」のひとつの見方である。

その見方を否定するということは

価値観の否定である。

ハラスメント以外の、何物でもない。





なので、これからダンスを始める人間には

自分がこの目でしっかりと見てきた「ダンスの村社会」の現実として

「懐古主義でないと必ずハラスメントに遭う」と

先に、強く言っておきたいと思う。

「ダンスの村社会」において、

価値観の多様性は一切認められない。






(動画を拝借します。)



拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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