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はじめまして。そして僕の応援チーム・その1

初めて行意を得ます。佐藤静月(さとうせいげつ)と申します。
この度、noteにて文章を書いてみようという思いに至りました。
不慣れなところもありますがよろしくお願いします。

さて、自己紹介がてらとなりますが
歴史とスポーツ観戦を趣味としております。
幼少の頃より野球の #横浜DeNAベイスターズ と、
サッカーの #横浜F・マリノス を応援しております。
小学生で応援チームを決めると変更が利かないとはよく耳にしますが当方もその一人といえるかもしれません。
そのうち今日は野球のベイスターズの話をしてみたいなと思います。

<横浜DeNAベイスターズ ~いっぱい打って、いっぱい打たれる強打のチーム~>


結論から言うとベイスターズは選手から入ったというのが正直なところである。野球の花形といえば「エースか4番打者」であろうし、大多数の野球ファンの推しの選手はおそらくそうだろうと思う。だが当方は「足が速く守備が上手い選手」が好みだった。

幼少以来の好みの選手は打撃コーチを務める石井琢朗コーチである。当初はピッチャーとして入団したが、憧れと公言する篠塚和典/利夫を凌ぐ2432安打、358盗塁、盗塁王4回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ4回の名手である。ベイスターズは今も昔も強打のチームだが走塁守備で石井ほど長くベイスターズを支えた選手は稀有だ。石井の影響からか二遊間守備や盗塁に比重を置いて今尚野球中継を楽しませてもらっている。

毎日野球中継。最初の俺のチーム「マシンガン打線」

ベイスターズは松原誠や田代富雄など強打を伝統とするチームだが、90年代後半はホームランよりも単打、ツーベースをマシンガン掃射のように重ねて得点を積み上げ、高いチーム打率で相手を凌駕する「マシンガン打線」が猛威を振るっていた。

チームの旗色が良いと(短かったが)試合が待ち遠しくて仕方がない。妹は当時友人から「お兄ちゃんってどんな人」と聞かれると「野球中継ばかり観てるオジン臭い人」と言っていたらしく、実際に面と向かって文句を言われたこともある。知恵のついた今は兄弟喧嘩なぞ起こらないが、さぞ印象の悪い兄だったであろう。

ファンだからわかるベイスターズの良いところ

キッパリ申し上げてしまえばベイスターズはお世辞にも勝つチームとはいえない。加齢で知恵がつくほど「我ながらよくこの弱いチーム応援しているな」と思うことは生憎ながら多い。それでも今日までついてきたベイスターズの美点を再検証してみたいなと思う。

何かやってくれそうな雰囲気漂う終盤

昔から見ていてベイスターズは逆転劇が多い。一番印象的だったのは優勝年である1998年7月15日の巨人戦を挙げたい。先発斎藤隆が撃ち込まれ0-7とされたものの得点を重ねて捲り、13-12でサヨナラ勝ちを収めた試合は今尚語られている。

アレックス・ラミレスが監督に入った近年でも2017年は8月22-24日の対広島3連戦すべてサヨナラ勝ちし、18年8月3日、17日や20年7月24日と当時黄金期を迎えていた広島からサヨナラ勝ちを収めている。

もっとも2011年オフのDeNAのNPB参入時、楽天・三木谷浩史オーナーが同業者参入は利害上困るとして猛反対したのに対しDeNAを最も温かく迎えてくれたのは広島・松田元オーナーであった。DeNAのノウハウは広島に倣ったものが多いという。

ピッチャーが打つ意外性

ベイスターズというチームを見ていると、「ピッチャーがヒットを打つ場面」をよく見かける。伝統レベルで「強打のピッチャー」が多い。

見てきて一番だったのは日本一戦士の一人で左ピッチャーの野村弘樹だった。PL学園時代より立浪和義(現中日監督)、片岡篤史を差し置いて4番ピッチャーの座に座り、1996年4月23日(場所は平塚)の阪神戦では2失点完投の上に決勝となる3ランを放った。1998年10月18日の西武との日本シリーズでは猛打賞を記録している。

つづいては吉見祐治を紹介したい。2007年6月19日の交流戦で猛打賞&完封勝ちを収めソフトバンクの新垣渚に競り勝ったのは代表的だ。吉見は肝心なピッチングで打ち込まれたため評価の芳しくない選手だが、ベイスターズのピッチャーらしい選手ではある。

最近ではジョー・ウィーランドを挙げたい。2017年10月1日の広島戦は投手成績はボロボロながら自ら逆転3ランを放ち、2018年8月3日の試合では代打で登場フォアボールを選び勝利に貢献した。

古くは秋山登や平松政次もピッチャーとしては異例の打撃成績を誇る。プロの世界では打撃練習をしていると投げる練習しろと怒られる世界と聞いているため、ほぼぶっつけで試合に臨んでおりこれだけの成績を残せるのは凄い。

近年巨人の全権監督原辰徳はセリーグのDH制移行に躍起になっているが、利害上損なのはベイスターズだろう。個人的意見だが「DHのある世界」と「DHのない世界」が両方ある今の状態は維持して欲しいと願っている。

ファンだからわかるベイスターズの悪いところ

幼少から応援しているチームであるが、ベイスターズほど欠点を沢山指摘できるのも珍しい。

点を取った後失点する守備脆弱な「ベイスボール」

神奈川生まれである自分のお袋の古くから見たベイスターズ評は「点を取った後にエラーをするチーム」であり、失点を計算する防御率順に順位が決まる団体競技ではかなりの弱点と言わざるを得ない。この伝統は未だ生きており、「ベイスボール」とよばれエラーの連発で試合を壊す場面は今尚散見する。

本拠地である横浜スタジアムが狭く打者有利な球場の為、失点が嵩むのはある程度やむを得ないと思うが、団体競技は失点で勝敗・順位が決まるだけに覇を競うには遠いと言わざるを得ない。

ワーストオーナー・TBS

ベイスターズは何度か親会社が変わっており、全国の地上波をもつ東京放送/TBSは2002年より10年に亘ってオーナー企業の座にについた。

オーナー企業が変わると会社のエゴで古参選手の追放など伝統を破壊されることが多く、廣岡達朗曰く「野球チームは親会社の宣伝部門」と考えている背広の輩は生憎ながら多い。TBSはチーム名の変更やユニフォームデザイン一新を見送るなど当初こそ歓迎されたが、失政の連発で結果的に横浜ファンは塗炭の苦しみに喘ぐ羽目となった。

・番宣ばかりに精を出す

・功労者を大事にしないフロント

・練習しないで、逆に試合中にバラエティーを視聴する意識の低い選手

・取ってきた新人選手は殆ど失敗

・内川聖一など頑張っている選手が匙を投げて出ていく

この辺の常軌を逸したエピソードは夙に知られているのでご存じの方も多かろうと思うが、応援がバカらしくなる時期だった。内川が出て行った時は「最後の砦が落ちた」と肩を落としたし、この時期の野球観戦はオーロラビジョンに映し出されたドラマの宣伝しか記憶にない。

「10年間で最下位8回」

TBSこそNPB史上ワーストのオーナー企業であることは疑いないだろう。

招かれざる客・森祇晶

続編で扱う予定のマリノスでもそうだが、自分自身辛口スタイルの為自軍と言えど評価の低い選手が残念ながら存在する。ベイスターズの場合ワーストとして迷うことなく2年間監督を務めた森祇晶を挙げるだろう。

言うに及ばないが森は巨人のキャッチャーとしてV9に貢献、失点の少なさと、勝負強い打撃を売りとし、なかでもパスボール発生率は里崎智也に抜かれるまで森が一番だったといい、キャッチャーとして優秀な成績を残した。またコーチとして現役時代から盟友だった廣岡達朗の片腕としてヤクルト、監督として西武に覇をもたらしている。横浜は森に95,97,00年と3度にわたって監督就任の要請を出していたそうで、横浜球団としては森に相当期待していたことが窺える。横浜の三顧の礼ぶりに慌てたのか98年に森の古巣・巨人も森に監督就任の要請をしたという。

だが三顧の礼の元ネタである諸葛亮と逆の結果が待っていた。森が就任したころのベイスターズは日本一から時間が経過していたことや、不動起用のツケからか選手として加齢による衰えが目立つV戦士がほとんどで日本一後に台頭した野手が金城龍彦くらいしかいなかった。確実性を旨とする森は西武時代の必勝法だったバントを多様する戦術に踏み切ったのだが、新監督のタブーの一つ「前任者のダメ出し」がフラグとなったか、強打の伝統に合わなかったのか見事失敗に終わる。

森最大の失策は谷繁元信の放出だろう。谷繁と遠藤一彦曰くもともと愚痴っぽいとされる森にダメ出しされた谷繁は次第に嫌気がさし、相川亮二の登用を成功させて『ワシが育てた』とドヤりたがった森の功名心にヘソを曲げたのはほぼ間違いないだろう。結局谷繁は中日に移籍、落合博満の下で黄金期を迎えた中日の要に座った谷繁と、森の功名心が仇となって敗戦を重ね暗黒期に突入する横浜で天地差の未来が待っていた。

バントをやりたがる戦術だけならチーム状況からいけると踏んだのは理解できるが、要のポジションである筈の、己の出身である筈のキャッチャーで失敗。廣岡達朗曰く「これから育てなくてはいけないチームの筈なのに、『お前、ダメ』『お前もダメ』と繰り返しているうちに戦力がいなくなってしまっていた」らしく、森唯一の欠点である若手登用が下手だったことを横浜フロントは蓋を開けるまで見破れなかった。今尚ベイスターズがキャッチャーで苦労する状況は続いており森の責任は重いと言わざるを得ない。

悪しき伝統・巨人のお下がりチーム

ファミリー志向が強いとされるヤクルトや広島、地域の代表という性格の濃厚な中日と反対に、横浜というチームはセ・リーグで一番生え抜きにドライなチームだ。と生え抜きよりも上述の森を含め巨人OBが多い。

実のところベイスターズは生え抜き監督でシーズン勝ち越ししたことが最近までなかった(※2022年に球団73年目で初めて達成。)。この人事はジンクス上間違いではない。だからこそ外部の監督少なくとも他所の空気を吸ったことある監督を立てざるを得ない一応の措置ではある。

勿論監督としてマイナスからプロを名乗れるレベルへの改革を成した中畑清や、ロバートローズに次ぐ攻守の実力を持つばかりでなく人柄でも高い評価を得たホセ・ロペスなど「巨人OBだが事実上横浜の人」といえる功労者もいる。だが毎年のように積極的に巨人のお下がりを欲しがる様子は首を傾げたくはなる。

ポジティブ過ぎるファン

野球ファンの世界でベイスターズファンは他所からは「ポジハメ」と呼ばれ、下位が当たり前でも楽しそうな様子から名づけられたと聞いている。

お恥ずかしい話だが悲観的な性分である自分は、マイナス思考が過度なためか同志と言い争って揉めることが生憎ながら少なくない。長年応援しているがプラス思考に支配され過ぎているベイスターズファンの気風は個人的に高い評価を出しづらい。

残念過ぎるフロント

とどのつまりを言えばベイスターズが長年勝てない理由はフロントだろう。

上記で書いたことは殆どフロントの失政によるものだ。

最近問題視しているのは「コーチに金をかけたがらない」吝さで、中でも暗黒期の選手でありながら引退後もコーチだったり、球団付きだったりと籍を置き一度も球団から籍を抜けたことがない新沼慎二への厚遇は不自然と言わざるを得ない。球団内部の人間ではないので細かくわからないが新沼と一緒に働いていて、魅力ある何かはあるのだろう。だが選手としても指導者としても格別の働きがない新沼を一軍バッテリーコーチに据えた2021年の人事は憤りを禁じ得なかった。案の定チームは最下位で流石に世間に寄り切られたか新沼の名が一軍から外れたが、OBありきのコーチ配置もベイスターズが勝てない要因ではないだろうか。

現在・連日満員のスタジアム

気がついたら横浜スタジアムに行かなくなった自分がベイスターズの応援に復帰したのは2015年だった。

きっかけは自分ではなく母親だった。身の上話で恐縮だが、母は12年末に急病に倒れ、一時危篤状態になったのだが運良く生還。そんなお袋が「野球を観に生きたい」と言い出したのだ。母親は阪神ファンなのだが千葉在住では関西移動は難しく、セリーグしか見ない人なのでロッテもアウト。母自身横浜生まれで亡き父(筆者の祖父)が川崎球場詰めの元電気技師、かつ息子の応援チームという3点が引き金となりベイスターズの年間チケット購入に白羽の矢が立ったのだった。

3月31日、母にとって15年ぶりになる横浜観戦で忘れもしないホーム開幕戦(相手は広島。奇しくも山﨑康晃の初セーブ試合でもある)。入場口でファンサとして振舞われた青のヘルメット、ノックバットを振るう琢朗、序盤の満塁弾も飛び出し試合勝利と演出面も傑出していた。母から「一生忘れないぞ」と声をかけてくれた時は思わず泣いてしまった。

ベイスターズ自体は首位で折り返し最下位でフィニッシュという失笑もののシーズンとなり、結局アクセス面の困難や自分自身の仕事の都合もあり年チケ購入は1年限りで終わったが、今の生活で野球に充てる時間は確実に回復している。

今のベイスターズを見ているとファンサービスが著しく拡充されていて、コロナウィルスが広がるまでは連日超満員の動員力である意味勝ち組に入れたことは喜ばしい。

昔からオフェンス力あるチームは観客がつきやすくベイスターズもその一つ、中華街というメシ処が隣接する僥倖もあるが、南場智子オーナー以下DeNA社、ベイスターズ球団の営業努力には頭が下がる。

また山﨑康晃を筆頭に新人の成功率も好調で、他球団で燻っていた選手の再生も目覚ましい。特に谷繁とほぼ似た経緯で今度はベイスターズに来た伊藤光は今やなくてはならぬ存在だ。南場オーナーはじめDeNA社や中畑の奮闘で確実にプロを称するに足るチームになり、今や番長・三浦大輔だけでなく鈴木尚典や斎藤隆、そして石井琢朗がコーチとして帰還した。

自分は同志としては少なからず耳の痛い存在かもしれないが、これからもベイスターズファンを続けていきたいとは願っている。

あくまでも個人的要望だが某チームの「優勝できなくてもいいが、巨人だけには勝つ」ファイティングスタイルをこっそり羨ましく思っている。この境地に近づけるなら嬉しい。

最後にあなたにとってベイスターズとはと問われたら

「勝てないけど面白いチーム」

と答えたい。高い火力と脆弱な防御の極端さ、プロらしくないがネタ要素豊富で笑えて憎めないアンチの少ないチーム。応援チームとしては勝てな過ぎる不満は拭えないものの、肩の力を抜いてバラエティーとして眺めるには有能な気がしてならない。

次回はサッカー編。

<参考文献>

・『ホエールズ&ベイスターズ 60年の軌跡』 ベースボールマガジン社

・『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』 村瀬秀信著 双葉文庫

その他Wikipedia関連項目

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