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思いついたことを言葉にしてみる#02 あいまいはあいまいのまま

前回、思いついたことを言葉にして、登山が好きということを認識した。単純に思い込みの範疇で完結しているのかもしれない。だがやはり、登山の計画を練っているときや好天の中で登山をしているときのワクワク感は私の生活においてまこと希少な心模様であるから、好き、と言い切ってしまおう。ここまで、まことにめんどくさい。

振り返ってみれば、「好き」という感情は、案外あいまいの状態で心の中に滞留しているのかしら。遭遇した事象について、直感的に「好き」と感じたことって記憶にない。その反面、そのような状況のときの「嫌い」とか「ダメだ」は間を置かずに感情へ直結することが多い。生理的に受け入れ難いことは、身体が条件反射するようだ。

しかしながら世の中は「好き」「嫌い」の二者択一のみではない。両極の感情の間には

気に留めない
どっちでもない
なんとなく気になる
イヤじゃない
だいぶ気になる

など、いろんな種類の領域があると思う。境界もあいまいな感情の領域に、実は「好き」と感じられるものが潜んでいる、というような構図を思いつく。

あれ、中には「嫌い」と判定済みの事象やモノの中から、大逆転することだってある。そこまで思いつくと、領域の概念すら無くなってしまうじゃん。

思いついて、言葉にして、考える。これは答えが出ないなぁ。

「これはあいまいである」という認識にとどめる、という判断。クリアカットで、シンプルで、一言で表すと、などなど、即座に明確な回答を渇望する昨今の風潮から忌避されてしまうであろう。でもそれで構わない。どっちつかずの思い出が、あるとき突然、好きに変化するかも、という方が、格段に人生が楽しくなりそうだから。

好き、という感情は、そう思い込んだ瞬間から、実はまことにやっかいなのかもしれない。経験上、好きなものに対する精神的にも財政的にも投資が格段に多くなる。身体はひとつ、人生は有限、財政も限度がある。あれもこれも好きになることはそもそも無理なことなのだ、と思いつくと、好き嫌いの判断をせず、あいまいな領域に留めておくことの合点がいく。とりあえずストックしておく、あとで役立つかもしれないから。

ここまで考えてみて、私のストックはどんなものがあるのかな、と思いを馳せてみる。いろいろ思いつくので、今後の話のネタにしようと思う。

ちなみに冒頭の写真は、生活のパートナー。この話もまたいつか。


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