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イギリス Nottingham 記憶5

まだいたパンクな人

パンクロックというものがあった、私も古い方だけどその時代と発想には乗れてない、もっと後の少し煌びやかな方のロックになってからだったと思う。

割とシンプルな音源で反抗心を原動力とした様な歌詞のロックのジャンルと聞く。

スタイルも独特で革ジャンにピアス、モヒカンヘアであったりが強烈なイメージ。そのうちモヒカンから逆立って固めてみたり色がついたりとバリエーションが出てくるのだけど、それらのイメージ。

ノッティンガムで下車したある高齢者の女性の後方から4、5人のパンクスタイルの男性たちが降りてきた、目立つので見てしまった。すると女性の荷物を携えて電車から降りたところで荷物を渡している。女性はお礼を言っている様だった。

ギャップには驚かされるものの一つ。厳つい人の親切は喜ばしかったりする。それにしても思いっきりパンクだな、と思った時だった。その頃でさえもう姿を見ないファッション、ロックの歴史の中でこんなスタイルが流行った時がありました、と言うのは見たことがあったが、なかなかグループで見かけることはない。マニアだったのかな。濃かったなぁ。

電車と言えば、

ローカル線を目的地を決めずに電車で旅をしたことがあった。ブライトンからワジングという場所だったか、、、各駅停車の古い車両で扉は手動で外側からドアの取っ手を掴んで開ける、それも内側から窓を開けて手を出してそれをやる。

内側に他ドアを開ける取っ手がないので焦る、すると誰かが来て開けて出てゆくので初めて覚えるわけだ。へーーー、だった。一説にはドアは外から開けてもらうもの、だったらしいとか?不意に子供が明けてしまわない様にだったのか?もうその車両を見ることはないだろうな。

長い代車時間の午後3時、旗を立てるポールに紐が風でぶつかってカランカランなっている。寂しそうでもない、無機質な感じでもない、西陽が差してる冬の時間だった。

降りようかな、この辺で宿を探そう、それがワジングという街だった。夕方人気のあまり無いパブに寄った、パブはB&Bもやっていたのでそのまま泊まることにした。店のオーナーは日本人なんて見たことなかった、と話していた、私たちがアメリカ人もヨーロッパ人もわからない様に日本人もアジア人全体はわからない。

小さな劇場があり当時ハリーポッターと賢者の石を上映していた、その時まだ見ていなかったので見ることにした。相当古い劇場でアンティークな木造の彫り物が施してある立派なものだった。小さな小さなホールだったが細部にわたり丁寧な修復もされており座席については上部サイドに数席、オペラグラスで観覧出来る席も設けてある。

幕が横にさーっと開くと子供達が歓声を上げた。こっちもワクワクしてくる。そっか、字幕もあるわけないよね、

良い時間を過ごした。ソニーエリクソンあたりのケータイを持ってたかな、画面を常に気にする時代ではなかった、音楽は良く聴いていたかな。

このローカル線の旅をしなかったとしても未来には何の影響も無い、そう思ってしまうほど目的地で何かを果たしたわけでは無い、でも旗のポールの紐が風に当たって鳴らしてた音を聞いている、何かを考えていたのかもしれない。考えたい、をしにいったのか、今ではわからない。

つづく






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