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検査結果が悪くても、気持ちが明るいのはなぜなのか。

「僕もびっくりしてます。2年に1人くらいかな、こんな人」
今日、主治医が私にそう言った。
「治療をやめてから3年5ヶ月ですね」
私がそう言うと、主治医は改めて「すごいなぁ」と言った。

骨盤リンパ節および腹膜播種の再発がん。
さらに、肺と左鎖骨上窩リンパ節転移。

いつもこうやって文字にすると、自分でも「こわっ!」と思う。

再発して4年以上、治療をやめて3年5ヶ月、がんは私の中でじわじわと大きくなっていった。
でも、ゆっくりじわじわと……、なのだ。主治医がびっくりするほどに。
そういう意味では、すでに私は「奇跡の人」になっているのだと思う。

ただ、もうそろそろ放っておくのも限界のようだ。
今日は4ヶ月ごとのCT検査・血液検査の結果を聞きに行く日だった。
いくら「じわじわと」でも、やはりこれだけ時間が経てばかなりの大きさになっているわけで。一番大きいのは5㎝を超えてしまった。お腹を触ると自分でもわかるくらいに大きい。腫瘍マーカーの数値も上がっていた。

「さすがに、もうほっとくのは僕が心配やわ」と主治医。
疼痛も出ているので、私自身も、そろそろ治療を始めないといけないなと思っている。
痛みがなく元気だからこそ、治療をしない選択をしていたのだ。
再発がんはもう完治は望めず、延命治療だから、それなら辛い副作用のある治療をするよりも、QOL(生活の質)を下げないで生きようと思った。
でも、疼痛が出て、痛み止めを飲まないと過ごせないのなら、「治療をしない」意味がない。この1年くらいはすでにQOLが下がっている。
それなら少しでも良くなることを期待して治療し、副作用に耐えたほうがいいと思えるようになった。

今日は主治医とそんな話をした。
でも、あと少しだけ粘ることにした。
「治療を始めるのなら、来年の春からにしたい」と告げた。「仕事の区切りがつくので」と。
主治医は難しい顔をしていたが、「僕には無理にやらせることはできないし、Sさんも全部わかってて言ってるんやもんね」と了承してくれた。
主治医との付き合いも5年以上。私がどういう人間か(言い出したら聞かない!)、よくわかってくれている。ありがたいことだ。
4ヶ月後、来年2月の検査を受けて、その結果を見て4月から治療を開始することを約束した。おそらく、キイトルーダとレンビマの併用療法になるだろう。

キイトルーダとレンビマの併用療法が保険適用になったのは、2022年2月。当初は病院側もうまく対応できていなかったので、副作用が強いばかりで結果があまり出ず、途中でやめてしまう人もいて、主治医も「そんなにおすすめしない」と言っていた。
でも、さすがに1年以上経ち、今はこの病院でも20人くらい受けているというし、病院側もうまく対応できるようになったようだ。どんな副作用が出るか、それにどう対応するか、そういう経験が蓄積されて、副作用も緩和しながら成果をあげているという。だから、主治医も前とは真逆で「やってみたらいいと思う」と言うようになった。

私と同じタイプのがんの人で、がんが進行しないだけでなく小さくなっている人、たった2回の投与で効果が出ている人などもいるらしい。主治医いわく「たぶんSさんにも効くと思う」と。これはうれしいデータだ。

今日の結果は悪かったが、病院を出る時にはどこかスッキリした気分だった。清々しいほどに。
「なんかもう開き直ってるというか、結果が悪くても何にも思わへんわ」と言ったら、夫が「すごいな」とつぶやいた。「かおりは強いな、ほんま尊敬する」と。
でも、違うんだよなぁといつも思う。
友達の中でもいるのだ。「私やったらそんなふうに強くいられへんわ。あなたはすごいね、強いね」と言ってくる人が。
そりゃ、想像だけなら「無理~」となるだろう、こんな状況。私だって自分のまわりの人がこういう状況だったら「すごいなぁ、強いなぁ、私だったら無理~」と思う。
でも、違うのだ。みんなそういう状況に置かれたら、強くならざるを得ないのだ。もしくは死ぬか。死にたくなけりゃ、強くあるしかない。勝手にそうなる。そういうものだ。

治療開始を春まで延ばした理由は2つ。
1つは今シーズンの酒蔵取材をどうしてもやりたいということ。「酒蔵萬流」という雑誌がちょうど10年目を迎える。どうしても10年やり切りたいのだ。
治療を始めたら少なくとも最初の2ヶ月は、副作用とどう付き合うか見ていかないといけないし、病院も頻繁に通わないといけなくなる。とても出張など行けないだろうから、酒造りシーズンが終わる3月までは治療を開始したくない。

もう1つは、週2回通っている鍼灸の成果を見たいということ。
鍼灸の先生はがんの人も多く診ていて、中にはがんが小さくなった人もいるとのこと。そういう人の特徴としては、「小さくなる前に、必ず一度膨らむ」というのだ。これは先生の経験では100%そうらしい。
実は今回、いつもより大きくなるスピードが上がっていた。いつもは1ヶ月に1mm程度なのだが、今回はその2倍以上。もしかしたら、これが「膨らむ」なのかもしれないと思った。もちろん単に進行が早まっただけなのかもしれないが、期待を込めて、もう少し様子を見てみたいと思った。

鍼灸に行き始めて、疼痛以外の体調でいえば、確実によくなっている。胃腸の調子がよくなり、食欲が出た。眠れるようになった。疲れにくくなった。痛みさえなければ、かなり元気なのだ。
鍼灸の先生も主治医と同じく、とても信頼できる先生で、とにかく私の意志を尊重してくれる。「こうしなさい」「こうしたほうがいい」ということを言わない。「僕のできることと、経験した事実を伝えるだけ」だと言う。
だから、私が「今回のCTの結果によっては治療を始めるかもしれない」と伝えた時もこう言ってくれた。
直感に従ってください。僕がこうしたほうがいい、とは言わないので」

「直感」という言葉を使ってくれたことがなんだか嬉しかった。先生に話したことはなかったが、私は再発してからずっと直感に従っていろんな選択をしてきた。もちろんいろんなことを調べて癌の勉強もしてきたけれど、そういう知識をふまえたうえで、最終的に選ぶ基準は直感だった。そして、それは正しかったと思っている。
だから、今日も「治療をするなら来春から」という選択をしてよかったと思う。4ヶ月後、2月のCTで、もし鍼灸の効果が出ていたらうれしいし、出ていなかったとしても、今シーズンの酒蔵取材をやり切った後だから、気持ちよく治療に向き合える。私の直感だ。

取材さえ終わっていれば、原稿は寝たり起きたりしながらでも書いていける。ちゃんと10年やり切れる。
そう思ったら、なんだかホッとした。

検査結果を聞く診察室の中は、毎回和やかで、何度か笑いまで起きる。
がんは確実に進行しているというのに、ちっとも良い結果じゃないというのに、不思議だなぁと思う。もっと悲壮感が漂っていてもおかしくないのだけど。
でも、なぜか悪い結果を聞いても落ち込まないのだ。
むしろ、「まだまだやったるで!」みたいな明るい気持ちになる。
それはきっと私が「闘っていない」からだ。私は自分のことを闘病中だとは思っていない。いや、途中から思わないようになった。「がんと闘う」「がんをたたく」「闘病」、こういう言葉を使わないようになった。

私は、私の中のがんを癒す。癒すためにどうしたらいいのか、常に考えている。癒しながら、共に生きていく方法を模索している。
また4ヶ月、いろいろやってみよう。痛みが強いと心が折れたり泣いたりしてしまう日もあるけれど、ふうふう言いながらでも生きていく。
しんどい時は「えいえいおー!」と励ましてくれる人たちがたくさんいることを思い出して元気になる。
それに、何より食欲があると安心する。自分の細胞たちはまだ生きたがっているのだと思えるから。ごはん、いっぱい食べよう。

人は皆、生まれた限り、いつか死ぬ。それは誰にも平等にやってくる。
じゃあ、生きている間、楽しんだもん勝ちだ。
私はまだ友達とたくさん遊ぶし、旅行やキャンプもするし、おいしいものも食べるし、仕事もするし、ずっと文章を書き続ける。
どうしたら、それがもっと楽にできるかな。どうしたら、がん細胞を癒してあげられるのかな。
私はそれを考えながら、またがんと共に生きていく。
それだけだ。

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