「あおいろのかくめい」という詩について byごうすけ


胸の高鳴りに素直になっていくことが
純粋に夢中になっていくことが
遊びに真剣になっていくことが
ゆたかな自然を享受していくことが
愛する仲間と一緒に創っていくことが
そんな青色の日々が
セカイをひっくり返すかもしれない。
ようこそ
「あおいろのかくめい」に

子どもの頃から、社会で起こっている色んな不条理に胸を痛めて、憤ったり、糾弾したり、ときには見て見ぬふりをしたり、そんな風にして過ごしてきた。

だけど問題は、一向に解決しそうにない。それどころか毎日、毎日、新しい問題が生まれ続けているように思える。

なぜだろう?

それは多分、問題とじぶんが分離してしまっているからだ。

「なんて酷いやつなんだ」
「おれが成敗してやる」
あるいは
「私には関係ないけどね」

そんな風にして、切り離して考えてしまっている。

3.11の震災が大きかったけれど、成長するにつれて、自分自身もその社会システムの中で生きているし、加担しているし、被害者でもあり加害者でもあると気づいた。

絶対的な善人も悪人もいないのだ。じぶんに関係のない問題なんてなくて、生きている限り、僕ら一人ひとりがあらゆる問題の中に含まれているし、問題を生み出している存在であると思うようになった。

そして、ひとつの真実を見つけた。

それは「心の内側にある願いが、外側の世界を創り出す。」という真実だ。

例えば、すごく極端で物騒な話だけれど、もし突然大きな災害がやってきたら、僕の心は不安や恐れに簡単に占領されてしまうだろう。そして、その感情を起点に行動したら、攻撃的になったり、奪い合ったり、競争したりすると思う。

不安や怖れもまた現実を創り出してしまうのだ。

だけどもし、同じように心に不安や怖れがあったとしても、その奥にある生命の願い(生存することや、平和であること、あるいは繋がること)に気づけたら、そこから創り出せる現実は、少し違ったものになるんじゃないだろうか。

そしてその願いは、誰しもがもつ生命の願いだから、人は互いに共感し、一緒に現実を創り出すために協力し合えるんじゃないかな。

日常の中の些細なことでも、僕らは不安や恐れを煽られたり、煽ったりして行動していることが多いような気がするし、そこから生まれた小さな問題が、戦争や環境汚染や格差にも繋がっているように思う。

日々いろんな感情が行ったり来たりする。
その感情の奥にある願いはなんだろう?
その願いに気づいてあげることができれば、僕らの行動は変わるだろうし、きっと眼の前の現実も変わってくる。

願いは一人ひとりの内側に生まれる。
だけど現実は一人では創れない。

それはある意味でとても幸せなことだと思う。
なぜなら願いを共有する仲間と出会うことができるし、共に創る喜びを分かち合えるからだ。

願いは心をワクワクさせる。
それが叶うことを想像すると、胸が高鳴るからだ。

僕らはその内なる願いに、純粋に夢中になっていきたいと思う。
日々、願いを叶えていくという、人生の遊びに真剣になりたいと思う。
僕らの生命を支えてくれているこの青色の地球の力に、感謝し、享受しながら。

そんな風に生きていく日々はとても幸せだと思う。
たとえ、生きている間にセカイがひっくり返ることはなくとも。

そんなことを思いながら僕はこの詩を書いた。

ごうすけ










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