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手の響きと岩の神様。その4

手で触れる、という行為は。
私にとっては、その対象が持つ穢れも含めて、その中へからだごと足を踏み入れ、入ってひとつになることです。

そして、一見泥のなかに沈んでいくように見えて。
ふかくふかく潜ったその先の、相手の魂の元の光と美しさにアクセスして。
手を繋ぎ、また、ここに戻ってくること。

同じく、ある土地に足を踏み入れて祈る、ということは。
イヤシロチ、ケガレチの区別はなく。その土地に触れるということ。触れあう、ということ。
そして、その地へ実際に赴き、足を踏み入れることで、初めて行ける霊的な領域があり。共鳴し、浄化され、癒されて。
祈りが、ご供養が届く場所があると思っています。

その時に、様々な存在や力に対する畏怖の気持ちは必要ですが。
その穢れに対する強い恐れや嫌悪感を持ったままでは、本当の意味で触れることは出来ず、そして祓うことも、できないように思うのです。

この、お山の男神さまと女神さまは、
伝染病、そして心を病んでいた人々に深く信仰されました。
流行り病は。今も昔も変わらず、病にかかった人々は隔離され、
触れあうこと、温もりからは遠くなってしまいます。
人里離れた山奥のお社だったことで。かつて伝染病の人々は、人目を気にすることなくお参りができたのかもしれません。
そして祈ることで。
目には見え無くても、神様は。人々の心とからだに寄り添い、触れて。
癒されたのだと思うのです。お互いの病を癒された時のように。

私は、目にはみえない、でも確かに感じる、今、世界中に広がっている「恐れ」の空気。
そして人々の触れあいや、コミュニケーション、距離を隔てているもの。それらすべてに、とてつもない違和感と、危機感を感じています。
そして、ますます、多くの人は自然界と触れあうこと、交流することからも、離れていってしまっていますよね。
これは、なにか大切なものが失われつつある。おかしいなって。
このままでは、どんどん、人は生き物としてのちからが感覚が、弱っていきます。本来の自然の免疫力、治癒力も。

人々が、実際に交流すること。触れあうことで生まれる大切なもの。
大地と繋がり、風を感じ、太陽のあたたかい光をあびて、深呼吸すること。
もともとは、内なる神性とひとつである、自分のからだを感じること。

それらを、思い出していただくために。
ボディワーカーとして、行者として。
いま私に何ができるだろうって、ずっと考えています。

あきらめないで、これからも祈り、行動し。
お伝えしていこうと思います。

(🌿2021年に投稿した記事を再投稿しました)

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