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たのしい生活

休みの日の朝に雨が降っているのも良いものだが、お洗濯日和だなあーと思えるときの方がなお良いと思う。

今週末はとにかくよく晴れた。

ベランダに1番近い木にヒヨドリがとまっていて、けたたましく鳴いているのを聞き目覚めた。カーテン越しに、外の明るさを感じる。

この数週間、土曜日に出勤する必要があり、週末に連続して休みを取れなかった。今週末は、久々の土曜日休みで、しかも三連休だった。目覚めた瞬間から充実感に満たされ、ぐーっと背伸びが気持ちいい。

隣でまだ眠りこけている恋人の口元に、よだれの跡がある。よく眠れたみたいだな、と横目で見ながら、ベッドを這い出る。リビングの窓を開けると、朝のひんやりとした空気が入り込んできた。一晩眠った部屋の空気が、すっかり浄化されていく。私と目があったヒヨドリはぱしゅん、と飛び立ってしまった。

今日は何でもできるな。心からそう思った。だから、声に出して言った。

「今日は何でもできる気がする!」

そりゃあ良かったね、と寝室から返事があった。


週明けの火曜日が十五夜であることは、母からのLINEで気が付いた。昨晩、大納言小豆を買いました、と写真付きで連絡がきていたからだ。

触発された私は、近所のスーパーまで自転車を走らせ、大納言小豆と白玉粉を購入した。そういえば、1人であんこを炊いたことがない。いつも母が作っているところに途中参加して、あくをとり、豆が水面から顔を出しそうになったら水を足す、という作業だけ任されていた。

大納言小豆の袋の裏にあんこの作り方が載っていた。なんだ、水に一晩浸けたりする必要はないのか。思い立ったらすぐに作れるんだな。

ふんふん言いながら台所に立つ私を尻目に、恋人は未だに寝ぼけ頭でソファに座り込んでいる。チラチラ目線をやると、そそくさと顔を洗いにいく。私は、あんこのために湯を沸かし始めた。

小豆の袋の裏の説明は、ほんの少しぶっきらぼうだった。沸騰した水または水に豆を入れ茹でる、という工程の次に、鍋が沸騰したら一度豆をざるに取り出す、という工程にうつる。最初から沸騰させてしまった私は、どのタイミングで豆を取り出せば良いか分からず困った。

何となくでびっくり水を加えたり、あくを取ったり。そうこうしているうちにあずきが2倍くらいにふっくら膨らみ、あんこらしくなった。そこに、ぎょっとするくらいの砂糖を加えた。さらにコトコト煮込んで、良いかなというくらいで火を止め、しばらく置いておく。袋の説明によると、味を落ち着けるための作業のようだった。

私があんこをコトコトやっている間、ベランダの掃き掃除をして、柱にするための木材にニスを塗ってくれていたようで、長い木材が3本、ベランダで気持ちよさそうに伸びているのが見えた。

いい休日だな。恋人もそう感じたようで、鼻歌混じりであんこを見にきた。

あんこをしばらく落ち着かせていた鍋の蓋を開けると、ふっくら甘い香りの湯気がぼわんと出てくる。


一人暮らしから二人暮らしに変わって、そろそろ半年が経とうとしている。

一人暮らしというのはとても楽しいもので、作り上げた自分の城でこそ、本当の自分らしい振る舞いができた。自分で選んだ部屋、家電、家具、すべて私に優しいものたち。だから、二人暮らしは楽しみなものでもありつつ、すこしの不安も孕んだ新たな挑戦だった。

実際、自分の城ではない。私の趣味で独裁を敷くことはできない。私と彼はお互いに王様であり、民である。お互いを尊重し合わないと、崩壊してしまう。

こうして欲しいのに、を挙げるとキリがない。お互い様なのだ。好みじゃない柄のカーペットとか、謎のお土産らしき置物とか。朝起きてすぐテレビをつけたり、まだ残っている家事があるのに、先に自分の趣味時間を始めてしまったり。私が、あまり好まない行動もある。

やんわりこうしてほしい、とお互い伝えながらちょっとずつ擦り合わせていくのだろう。

決して不満ばかりでない、幸せなことばかりでないけど、同居人の存在が、、ふいに今日はいい日だな、と思う要因を作ってくれたりするのだ。

ちっちゃな不満を飲み込んだり、伝え合って擦り合わせたりしながら、2人で楽しい生活を続けていきたい。


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