生まれて初めてバイトをクビになった

生まれて初めてバイトをクビになった。

私はいま某調査機関のフィールドワークのバイトをしている。
これは特に時間や曜日といった制約がなく、自分が行ける時に行って手伝いをするタイプの仕事である。とはいえ事前に自分が行ける日程をシフト表に書く必要があるのだが。
もし事前に連絡がなく決まった時間になっても出勤をしなかった場合は万が一のために会社がアルバイトの安否を確認する。そんなゆるいんだか、かっちりとしてるんだかわからないような仕事をしている。


フィールドワークはある程度の調査期間が設けられており、ある程度調査が進行すればそこで打ち切りとなりまた異なる現場へ移行する。

今回私はクビになったと宣言したが厳密にはクビではなく、この発言は現場切り替えの際に次の現場の紹介が行われなかったこと、また現場の社員が私に次の現場を紹介することに積極的ではない様子であったことに起因する。


現在の現場は5月の中旬をもって終了する予定であるが、次の現場のスタートを任されるような人には終了を待たずに次の現場への引き継ぎが行われる。
先月中旬ごろに現場の社員は私に次の現場の情報をある程度伝えており、直近の出勤の際には他のアルバイトの方が次の現場についての話で盛り上がっていた。私は事前に聞いていた次の現場の情報と盛り上がっているアルバイトの方の情報を合わせた結果、次の現場への移行がすぐであることを知った。


その日、帰り際に社員へ次の現場についての情報を聞いた際「次の現場は無い」との言葉を得た。とは言え、彼は理由もなしにそんなことを宣言して終えるほど薄情な人間ではなかったようだ。その理由を私に話してくれた。

曰く、週2回ほどの出勤を行っていれば、次の現場へ紹介も可能であったか、私は出勤実績がそれに満たないらしい。もっともらしい理由だと思ったが、私はいままでずっと週2回以上は出勤していたはずなのでその点を説明した。社員は4月の出勤簿を見て、現時点で2回しか出勤していない私に対し「週一日ですね」と答えた。
彼が確認したのはまだたかだか10日も経っていない4月の出勤状況についてである。加えて出勤が少なかった理由としては私が出勤できる曜日に雨が降り、そもそもの業務自体が休みになった日が続いたからである。

こういったことを丁寧に説明したとて彼が私を快く思っていないこと、彼が私を次の現場に引き継ぎたくない理由が出勤日数にないことは明白であった。私はたいして言い返さずすぐに引き下がった。


バイトの代わりはいくらでもあてがあるとは言え、こういった形の自分の意識しない部分で他人からのヘイトを買ってしまうことがそれなりにある。

今回の理由について思い当たる節を挙げると、私は先に書いた安否確認の部分について、この仕事の面接の際に念入りに説明を受け、また休むことがあればきっちりと連絡をしてほしいと言った言葉を受けたので、休む際は電話ではなく文章で休む日程含めて連絡していた。
この頻度が高かったことが私がよく休む人間である印象を植え付け、またその連絡に対する返信リソースを要求することが私を煩わしい人間だと感じさせた可能性がある。

私も経験があるが、業務において特に自分でなくてはならない理由がないことを強要してくる、または強要とは言わずとも対応せざるを得ない状況を作ってくる人間は非常にめんどくさい。正直、こいつは俺と世間話みたいなことがしたくてわざわざ俺に関係のないことでも俺に頼んでくるのではないのかと思ってしまう瞬間も過去にはあった。


と色々と考えてみたが、結局のところこういった事は確認のしようがなく、「こと」を洗うよりも、自分の意識の外にある人間がどういった人間なのかを環境の整備や事前の範囲的な振る舞いである程度制限していく必要があるのだと思う。

自分の意識をどれだけ外に広げようと、意識の外の物の圧倒的な大きさの前にはその関係は覆らない。もちろん自分が見える範囲や知れる範囲を大きくしていく事はとても大切だ。けれども、それはあくまでも自分の取り扱わなければならないものであったり、必要とするもの、必要とされるものの大きさに合わせて少しずつ大きくしていく、必要性ありきのもののように思う。

あんまり自分の手に余ることを求めすぎたり、求められすぎたりしても、自分と自分の外の世界との境界が曖昧になって、圧倒的な外の世界の情報にちっぽけな自分が蹂躙されてしまう。大なり小なり身の程を知ると言うのは子どもから大人に至るまで必要なものなのだ。
私なら「自分はたかだか30歳を超えたばかりで、その実態は幼少期の頃からの理想を追い続けてる体がでかいだけのガキ。人生においていまだ何も修めたもののないからっぽな人間なのだ」と認めることからはじめることが、あるいはこういった初心に帰ることが必要だ。

良くも悪くも自分の中の当たり前だけで対応できないことばかりだがとても刺激的な日々が送れている。そんな日々と至らぬことばかりの自分を認めてくれる方々に感謝をしてまた新しい日々を迎えていこうと思う。

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