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クレーマーと予想屋


 コタツ記事という言葉がある。ろくに取材もしないで、ネットなどの情報だけで書かれた記事のことだ。アフィリエイトの増加とともに台頭したコタツ記事は、残念ながら検索上位に出てくることも多く、しばしば目にするだろう。
 労力がさほどかけられていないサービスに搾取されると腹が立つ。アフィリエイトは直接金をぶんどってくるわけではないが、時間はとられるし、ちゃんと執筆者に実入りがあるという点で、ヘイトを集めるには十分だ。

 予想屋とは、予想を売る商売である。予想を買う人は、その予想によって「めっちゃ儲かる」「ちょっと儲かる」「賭けた金を失う」のルートが開かれていることに承諾し、代金を支払う。
 幸運にもめっちゃ儲かった場合、予想の中身はどうだっていい。めっちゃ儲かることの効用はそれほどまでに大きいのだ。ちょっと儲かった場合も、代金以上に実入りがあれば誰も文句は言わない。問題は三番目のルートである。
 賭けた金を失った場合、見方を変えると「代金を支払ったのにサービスを受けられなかった」に等しい感覚を抱く。いやいや未来なんて分からないんだから外れることもあるでしょう。そう予想屋が抗弁したところで、不的中を喜んでくれるわけではない。腐るほどレースがあるから助かっているのだ。喉元過ぎれば何とやら、次のレースに目が移ってくれればクレームにはならない。それだけのことだ。
 どうしても「不的中」という結果から逃れられない予想屋は、せめて労力を割いて予想を作成し、それで納得してもらおうとする。外れても次に繋がる情報を。読み手は頷きながらスクロールしてくれるかもしれない。しかし本音は、当たってくれた方が何百倍もいい、でしょう? それに、予想にかけられる労力なんてたかが知れているし、労力がかかっているからといって優れているとも限らない。それに比べて、当たった外れたの何と分かりやすいことよ。どちらが能力の指標として使われやすいか、少し考えたら分かるはずだ。

 どれだけ言葉を尽くそうと、どれだけ労力を割こうと、予想を売り買いした以上、最後にあるのは「祈り」だ。予想屋は、当てれば自分の評価が上がる。購入者は、当たれば自分の財布が厚くなる。そのルートにしかWIN-WINは生まれない。
 客を選べるなら、外れても勉強になったと溜飲を下げてくれて、自分の記事から知見を得てくれて、次に繋げてくれる人ばかりを集めるだろう。それなら何レース外れたところで地盤は崩れない。しかし、そんなマーケティングをしている予想屋がどのくらいいるだろうか。当たったら派手に騒ぎ、外れたら謝って、挙句の果てに還元などといってPayPayを配る。そのフィードバックループの先にあるのは、クレーマー予備軍に囲まれた薄氷の商売だ。だってそいつは、自ら「的中」などという運任せのものを売ってしまっているのだから。

 クレーマーは、多くの予想屋の性質からして発生して当然の存在だ。もはや共闘関係と言ってもいい。あなたたちは、祈る以外にやることがないんでしょう? お似合いのコンビでしかない。
 これからも互いの手を組んで、いるかどうかも分からない神に祈って、理不尽な分散を楽しんでほしい。そのエモーションが市場を支えているのだ。恥ずかしいことなんてひとつもない。

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