その流儀


 加古川刑務所の一般区には、まだ顔つきが犯罪に染まっていない連中が集まる。変な初々しさというか、浮ついた感じというか、初犯の自分も偉そうに評論できる立場ではないが、とにかく学校のような印象を抱いたのは事実だ。
 その中でも、2164番は異質だった。何かを忘れるためにムショ暮らしを無理やり楽しもうとしている他の連中と違い、こいつだけは本当に楽しんでいる様子なのだ。未来に希望を持っているような、そんな風情である。
「待ってくれてる人でもいるの?」
 自由時間の折、そんな風に尋ねたことがある。
「そんなもんいませんよ。どうしてです?」
「なんか楽しそうだからさ」
「そうでしょうか。皆さんと同じで、早くシャバに出たいです」
「出たら何したい」
「そりゃもう、パチンコです」
 冗談かどうか分からず、一拍置いて笑いが込み上げてきた。変な奴だと思った。それでも、同じパチンコ好きという一点だけで親近感が湧いた。それからよく話すようになり、2164番の身の上が分かってきたが、それにつれてクエスチョンマークが大きくなってくる。
 彼は詐欺の初犯だった。パチンコのしすぎで借金をし、闇バイトに応募した。手に乗った金はすべてパチンコにつっこんで、あっさり逮捕された。身寄りもなく、弁済をせずに一発実刑。二年半の加古川暮らしが決まった。
 それだけ見ると、ギャンブル中毒者の典型的な末路に思える。自分もそうだからよく分かる。金が欲しいのではなく、ギャンブルのタネ銭、もっと言えば享楽的なその「時間」が欲しいから犯罪に手を染める。歴に残らないような悪事も腐るほどしてきた。しかし、彼はそうでないという。
「ずっとサラリーマンでした。結構真面目ですよ」
 身の上話の流れでそんなことを言われたとき、どうせホラだろうと訝しんだが、刑務作業の態度を見ているとあながち嘘でもないと頷ける。
「でも結局、楽して金が欲しくなってやったんだろ?」
「そういう動機ではないんですよね」
「じゃあなんだ、借金のカタで仕方なくか?」
「いえ、ギャンブルのためです」
「おい、言ってることめちゃくちゃだぞ」
 やっぱり変な奴だった。

 2164番はほどなくして、一足先に仮釈放が決まった。それなりに楽しく会話した二年だった。
「このときが待ち遠しかったろ」
「ええ、ようやくです」
 余暇時間にひそひそ話をした。他の連中に聞かれると面倒だ。嫉妬ややっかみの多い環境である。
「やっぱりパチンコか」
「はい。最後のパチンコです」
 聞き間違いかと思ったが、彼ははっきりとした口調で最後と言っていた。
「どういうことだよ」
「前に言ったじゃないですか。この刑務所暮らしもギャンブルのためなんです」
「はあ? 詐欺でパクられた原因がギャンブルって話だろ」
「はい、そうです。2241番さん、幸せの黄色いハンカチ観たことありますか?」
 高倉健の映画だ。随分前に鑑賞した覚えがある。網走刑務所から出て、町の食堂でビールを一気に飲むシーンは有名だ。
「僕はね、それを観たときにピンと来たんです。これだ! って」
「どれだよ、意味分からねえよ」
「僕ね、パチンコ大好きなんです。でも小銭賭けても何も感じなくなってきちゃって。パチンコって、どんなに負けてもたかが知れてるじゃないですか。競馬やカジノは青天井ですけど。でも、やっぱりパチンコがいいんですよね」
 その気持ちはよく分かる。レバーが体の一部になっているような感覚だ。小銭じゃアツくなれない気持ちも理解できる。だから自分は裏に流れた。
「最初は裏スロでやってみるのも考えたんです。でも、キリがないじゃないですか。タネ銭が無限にあるわけじゃない。だから、比率を変えてみることにしたんです」
「比率?」
「自分の人生における、数万円の比率です」

 それから語られた内容は、狂気の沙汰としかいえないものだった。
 作業報奨金。刑務作業の対価として、出所の際に刑務所から貰える賃金だ。そもそもの賃金が安い上に刑務所内でもそれなりに雑品を買うため、たいした金額は残らない。それこそ十万円弱という世界だ。
 彼はそのために刑務所に入ったと言った。
「自分の二年がたったそれだけの金額に換えられるんです。アルバイトだって二年あれば五百万は稼げますよね。自分の二年をパチンコ台に突っ込みたかったら、よほどのレートでやらないといけません。裏でもそんな台はありません。だから、自分の二年の価値を引き下げることにしました」
 理屈上、作業報奨金で四円パチンコを回せば、運が悪ければあっという間に二年が溶ける。運が良ければ二年が儲かる。ただ、あくまでそれは気持ちの問題だ。そんなことのために二年を棒に振るなんて、尋常ではない。
「高倉健のビールがなんであんなに美味しそうだったかって話です。のどを潤しているんじゃない。あれは自分の刑期、人生そのものを潤していたんです。その快楽に勝るものはないでしょう。僕の場合はパチンコです」
「うーん、何となく分かったけど、そんなに好きならなんで最後にするんだよ」
「これだけのレートでできるのは最後です。燃え尽きると思うんですよね。それに、仕事を世話してもらう前にやらないと味わえません。金銭感覚が戻ってしまいますから。サウナから出た直後のビールは美味しいですけど、冷房の効いた部屋でくつろいでから飲む二杯目のビールはそこまで美味しくないでしょう」
 ようやく合点がいった。2164番にとって、刑期は快楽に向かうただの助走だったのだ。それはそれは楽しかっただろう。
「そろそろ就寝準備ですね」
 彼の笑顔も、今となっては何かに取り憑かれた不気味さを携えているように思える。その狂気は、遠い世界の御伽噺ではなく、いつかしてしまうかもしれないボタンの掛け違いだ。
 そっと胸元を確認する。襟付きの服を着なくなって久しい。今となっては、どこにボタンがあるのかも分からない。

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