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難しすぎる


 PayPayポイントを貯めることにハマっている。昔からポイントカードの類を一切持てないズボラ体質だったが、PayPayは支払うだけで勝手に貯まっていくのだ。普段はたかだか1%だが、いろいろな還元サービスを利用しているうちに、気づいたらポイントが20,000を超えていた。

 おお、20,000円。嬉しい。おおむね普通に生活しているだけだから、諭吉が2人、無から爆誕したようなものだ。
 一方で、そんなポイントは数秒で雲散霧消するようなギャンブルもしている。5年かけても貯まらないような額を負ける日もあるし、逆にその分だけ勝つ日もある。勝っても負けてもたいして気持ちが動かない。それは自分がギャンブルを相当長期的な視点で捉えているからだが、それにしてもこの「金銭感覚における二面性」には少し恐怖を覚える。

 以前、ポーカープレイヤーの木原氏がこんなことを言っていた。

 あらゆるギャンブルで「収益」を意識すると、こういう二面性を考える瞬間が訪れる。
 生活や人付き合いにかけるお金は、ある程度丁寧に管理する必要がある。それは人類のほとんどがこなしている(失敗している)タスクだろう。しかし、同じ尺度でギャンブルをプレイすると、プレイングか精神のいずれかが破綻する。家賃を一発で稼ごうと考えている人に正確なプレイングは難しい。あるいは毎回のように損失を「ランチ何回分」のように捉えている人も同じだ。ギャンブルの舞台では、金を雑に扱う方が結果が出る。

 この切り替えは、これだけギャンブルが日常に溶け込んでいると難しくなってくる。テレボートには常時ログインできるし、雀荘は全国津々浦々どこにでもある。そんな環境で、丁寧な金と雑な金をくっきり切り分けなければならないのだ。
 口座を完全に分けたとしよう。それでも、生活用口座Aからギャンブル用口座Bに現金を移動させる場面は必ず訪れる。あるいはギャンブル用口座から余禄を引き出して贅沢をしたくなることもあるだろう。結局のところ金は金なので、いつしか混然としたマーブル模様になってしまう。こちらが意図して切り分けたところで、金の性質自体が変容することはない。

 これだけ高度な抽象を扱っているのだから、困らないはずがないのだ。Twitterを少しスクロールすれば、金で悩んでいる人がゴロゴロ出てくるし、DMには悲痛な叫び(無心)がたまに来る。しょーもないなと思いつつ、心のどこかで「そりゃそうなるよなあ」とも感じる。人類に金銭は難しすぎる。
 難しすぎるものを使って難しすぎるものを手に入れようとする。ギャンブルはそういう遊びだ。翻って、生きているだけで貯まったPayPayポイントの、なんと可愛らしいことよ。上野真之介の2Mでその何倍もの舟券が紙屑になったけれど、そんな無粋な換算をするのはもったいない。それはそれ、これはこれで、今日も難しすぎる人生を歩いていく。



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