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ギャンブル引退講座


 花やしきのジェットコースターはとてつもなく怖い。動きは単調なのだが、あまりに古びているため「おい、これ大丈夫かよ」と常にレールに問いたくなるその道中にスリルがある。妙にクセになって、一日に何度か並んでしまうこともあった。
 死ぬのは怖い。死への恐怖は最も根源的な本能だろう。だが、死ぬかもしれないと思ってから助かるのは快楽なのかもしれない。とあるサウナーが以前こんなことを言っていた。曰く、サウナはお手軽に死にかけることができ、気軽に生き返ることができる。この疑似体験が中毒になるのだ、と。
 バンジージャンプも、高い負荷の筋トレも、この疑似体験に本質があると考えるのは強引だろうか。人生最大のイベントである「死」を、私たちはけっして体験できない。それならせめて、疑似的にでも体験してみたい。そう考えるのは自然なことだ。

 金とは時間である。時間をかけて手に入れるものを貴重だと感じるのは、命を貴重だと感じていることに等しい。その金を放り込む。失うこともあれば、どでかいリターンを生むことだってある。命を危険に晒して、生き返るだけでなく「強くなってもう一回」の僥倖がある。何のことかって、今日あなたが散々やっていたギャンブルの話だ。
 小さな小さな臨死体験と生還を繰り返しながら、それが面白くてやっている。実際に死ぬのはこの上ない苦痛だが、気軽にそれを「おためし」できるならやってみたい。人が賭博に熱中する理由のひとつとして、何だか説得力がある。

 ギャンブルをやめたければ、他に趣味——それも、臨死体験になるような趣味を見つければいい。
 あなたの「死にたくない」という本能と、それと併存する「でもちょっと死んでみたい(それで無事生き返りたい)」という本能は、いずれも強力なものだ。だから毎日飽きもせずギャンブルに興じている。そんな本能に抗うのは難しい。
 代替として、静かな趣味を選んではならない。ちゃんと疑似的に死ねる趣味を持とう。感情の表層だけでなく、根源的な本能を揺さぶる何かを見つけよう。花やしきのジェットコースターに乗っているとき、あなたはきっとギャンブルを忘れている。

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