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チェロと出会うまでの道のり


大学時代

僕は大学からチェロをはじめた。
どんな楽器でもよかったわけじゃなく、絶対にチェロがやりたかった。
サークルの新入生歓迎イベントに参加した日、扉をあけると先輩が迎えてくれた。
「こんにちは」とか何か声をかけられたのだろうけど、そのあたりのやりとりは覚えていない。
記憶に残っているのは、まっしぐらに先輩のチェロのところに行って、C線を弾かせてもらっていたこと。
先輩が「音が出たね」と嬉しそうに言ってくれたこと。
その日のうちにサークルに入ることを伝えた。

なぜ僕はチェロを選んだのか。
なぜチェロを弾きたいと思ったのか。
チェロと出会った大学以降のことは、以前の記事でまとめてみたけど、チェロに出会うまでの経過は改めて考えてみるとよく覚えていない。

なぜ僕はチェロがやりたかったのか。
今回はその原点を確認するため、記憶を遡ってみた。

高校時代

高校時代の僕は、すでにチェロのことは知っていて、魅力も感じていた。
弾けたらいいなくらいには思っていたと思う。
そんな高校時代、僕のチェロとの出会いを決定づける出来事があった。

僕の住む田舎の町に珍しく海外オーケストラがやってきたのだ。
多分100年に1回くらいの出来事だったと思う。
そして、母がその演奏会を見に行かないかと誘ってくれ、行くことになった。
曲目はショパンのピアノ協奏曲とチャイコフスキーの交響曲第6番。

この演奏会が運命的だった。
母は特に座席を指定してチケットを買ってはいなかったため、当日までどこの席かはわからなかった。
行ってみるとステージに向かって右側の前列から3列目くらいの席だった。
「ここからだとステージがほとんど見えないね」
僕たち親子はちょっと残念な気持ちになった。
まあ、でも演奏は楽しもうと思いなおし、開演を待った。

しばらくすると会場が暗転し、静まり返った中、楽団員がぞろぞろとステージに登場した。
でも僕たちの席からは楽団員はほとんど見えない。
コツコツとたくさんの靴音が聞こえるだけだった。
「想像以上に見えない」
と落ち込んでいた僕の前に、黒服のチェリストが颯爽と登場した。
目の前にチェロがずらりと並んだ。
ものすごい迫力だった。

そして演奏がはじまった。
僕は、チェロの演奏を間近で見入った。
特にチャイコフスキーの交響曲第6番はチェロが活躍する曲だったので、その迫力、音色の美しさに感動したのを強烈に覚えている。
そして、この楽器を演奏してみたいという思いを強くした。

その演奏会からしばらくたったころ、進学先を決めるために取り寄せた大学のパンフレットを眺めていた僕は、サークル紹介にオーケストラがあるのを発見した。
「音楽大学じゃなくてもサークルでチェロが弾けるんだ」
チェロを弾きたいという気持ちが具体的になったのはこの時だった。
学問もしたかったけど、チェロが弾けるという魅力に、俄然受験勉強にも力が入るようになった。

中学時代

高校時代はすでにチェロのことを知っていて、なんとなく弾きたいとも思っていたことがわかった。
では、僕がチェロのことを知ったのはいつだったのだろうか。

それは、中学生になってからだ。
当時アニメのサントラで、チェリストの溝口肇さんの音楽を聴き、とても美しい音色に感動したのを覚えている。
そして、その楽器がチェロだということは認識していた。

実は中学時代の僕はキーボードを弾いていた。
多分カシオの安いキーボードだったと思う。
左手でコードを出せる機能があったので、ヒット曲の楽譜がまとめられた雑誌を買っては弾いていた。

おそらく、チェロを弾いてみたいと思うようになったベースには、キーボードで楽器演奏に親しんでいたことが大きいと思う。
もしもキーボードを弾いていなければ、チェロに限らず楽器を弾こうとは思わなかっただろう。
僕は、なぜキーボードを弾くようになったのだろうか。

小学校時代

キーボードとの出会いは小学時代にあった。
正確には、鍵盤楽器との出会いだ。
それは小学校1年生の頃の記憶。ピアニカではない。

当時は昼休みになると、男子は外で遊び、女子は教室でオルガンを弾いていた。
男子全員が教室からいなくなる中、なぜか僕は外に行かず、女子たちが代わる代わる弾くオルガンのそばにいた。
そして、見よう見まねで弾き始め、教えてもらいながら「猫ふんじゃった」やブルクミュラーの曲を演奏していた。
それが僕の楽器演奏のはじまりだった。

僕が楽器を演奏したいと思ったのは、小学校1年生のときだったということになる。
そして小学校4年生になるとクラブ活動がはじまり、僕は鼓笛隊に入りトランペットやトロンボーンを吹いた。
この時点で楽器を演奏することに魅力を感じていたのは確実だ。

でも、小学1年の僕はどうしてオルガンに魅力を感じたのだろう。
ここまで遡るとその理由はもうわからない。

ただ、ひとつ思い当たるのは、小学1年生か2年生のころ、母がクラシックの名曲集のカセットテープを買ってくれたことだ。
エリーゼのためにやトルコ行進曲などピアノ曲中心のカセットだった。
夢中になったというほどではないが、自然とその音楽を聴いていた。
その経験が、僕に何らかの影響を及ぼしているような気はする。

母の存在

僕のチェロとの出会いまでの道のりは、母が買ってくれたカセットテープとの出会いからだったかも知れない。
テープを聞いていなければ音楽に興味も持たなかったかもしれない。
音楽に興味を持っていなければ、オルガンを弾くこともなかったかも知れない。
オルガンを弾かなければ、鼓笛隊に入ったりキーボードを買ったりもしなかったかも知れない。

ここまでまとめてみて気づいたのは、母の存在だ。
母がカセットを買ってくれなければ僕のチェロへの旅路はスタートしなかった。
高校のとき母が演奏会に連れて行ってくれなければ、チェロを弾きたいとは思わなった。
母は歌が好きで、アコーディオンやハーモニカも好きだ。
もしかしたら、僕はお腹の中にいたころから、母の影響を受けていた可能性もある。

母よありがとう。

最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回。

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