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先週の予定がSigur Rosと24時間テレビ観覧なの

、世界で一人な気がするな。
火曜日のSigur Ros来日公演、すごかった。

Sigur Rosを知ったのは高校の時、友達の家で。それまでジャーン!ボンボン!ドコドコ!なはっきりした音のバンドばかり聴いていたから、静けさと声が何か怖かった。

ジャケも怖かった。

怖いもの見たさか、もっと覗いてみたくてそのまま借りて、一番聴いたのはそれからちょっと後の二十歳頃。

眠る前に不安になった時、この「Ágætis byrjun」をごくごく小さな音量でかけると深呼吸のリズムがとりやすく、深海に沈むみたいにスー…っと意識が遠のいて朝になってたり。
今考えたら途中から結構うるさいのに、そのまま朝とは眠りが浅いんだか深いんだか。

それから暫く離れて、また聴き始めたのは4年前。旅行先がアイスランドに決まって、その前年にアイスランド旅行した友達に天候や準備の相談をしたら「Sigur Rosのリングロード(アイスランドの国道1号線)一周の動画がいいよ」と教えてもらって。

ひたすら車でリングロードを走るだけの映像なんですが、このシンプルさがとても良い。
音の原風景を辿る旅であり、音楽と景色に入り込める映像であり、まぁ何も考えずに流し見するのが一番心地いいです。

(ちなみに当然アイスランドでもSigur Rosを聴こうとしたけど、かけると同時に夫が強烈な眠気に襲われたので急いででんぱ組に変えました。)

そして、Sigur Rosを教えてくれた友達と 18年越しに生演奏を聴きに行ったのがつい先週。

ライブが始まると同時に音と映像に圧倒されて、こぼさないように、受け止めきれるように、目と耳の感覚を研ぎ澄ませて。いやこぼれてた。
後半は隣の人が高まってフラワーロックみたいになってきたので、視界に入って集中できないから目を閉じて聴いてました。暗闇の中に音だけ、これはこれですごい世界。

静謐、轟音、純度、神聖、危うげなのに力強い。目の前にいるのに、いないみたい。見た事によってより存在があやふやになったような。
これまで色々なアーティストのライブを見てきたけど、一番現実味のない変な時間でした。

最後の挨拶で4人が前に出てきた時に「本当にいたんだ」「人間なんだ」とホッとした。そりゃいるし人間なんだけど、私はどこかで彼らを北欧神話と思ってしまってるのかもしれない。

一番聴き込んでた初期の曲もたくさんやってくれて嬉しかった。轟音もいいけど、私はやっぱり静かなシガーロスが好き。寂しくて美しいと思う。

〜4日後〜

土曜日、母の付き添いで24時間テレビの観覧で国技館ってね。おいおい脳みそ忙しいなぁ!!!!!!Sigur Rosの余韻!余韻ンンン〜〜〜!!!!!!

まぁめちゃ楽しかったです。芸能人のみなさんはとてもキラキラしてて、こっちはこっちで「ありゃ人間か…?」ってなりました。
目の前で菊池風磨くんがジャンプした時は「目が!目がぁぁぁ!!!」ってなりました。アイドルってしゅごい…。
あと舘ひろしがすごかったです。芸能界であの人が一番かっこいいんじゃない?みんな知ってる?舘ひろし is No.1だよ。

現実と非現実が錯綜する一週間。
24時間テレビ帰りの新幹線でこれを書いてるんですが、ここはどこ…?私は今どっちにいるの…?
とりあえずSigur Rosと24時間テレビ行った奴この世で一人の自信あるな。体も心も忙しかったです。

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