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思考は物質、感情は場所

内側の世界と外側の世界、顕在意識と潜在意識のように分けて考える人が多いと思うが、すべてはひとつなので境目はない。

内側(感情等)を意識している時と外側(物理現実や物質そのもの)を意識している時もかわらない”何か”が意識している。

その何かが本当の私。普遍的な創造主の私なのだ。

思考は目に見えないが頭の中では文字として確認できる。
頭の中で浮かんだ文字を読んでいる感じだ。
例えば嫌な思考を認識した時、その思考に引っ張られて嫌な気分になる。
一度嫌な思考を掴んだら芋づる式に嫌な思考が浮かんでくる。

けど嫌な思考を認識はしたけど、気にせずにいると別にあまり影響がない。

思考は目に見えないがれっきとした物質だと思う。

嫌だとわかってるなら、握らなければいいだけ。(わざわざ注意を向けてあれこれ考えない事)

物質の場合、例えば嫌な虫を認識してわざわざ手に取って嫌な気持ちになることをする人はほぼいないはずだ。
殺虫剤等で対応するなどはあったとしても。

それと同じで単にスルーすればそれほど影響はない。

けれど思考を物質ではないものとしていた場合、そのように対応するのは最初は難しいかもしれない。

嫌なものを握ったら嫌な場所にいる事になる。
(握ってる時はネガティブな場所に)

握った嫌なものを手から離せば解決する。

嫌なものを握らなければ、嫌な場所に連れていかれる事はないだろう。

物質世界で特別楽しい場所に居なかったとしても、最高の思考を掴み心が満たされ良い感情を感じているのだとしたら、既に素晴らしいお望みの場所に居るのと同等だ。

普遍的な創造主の私がフォーカスを当てている場所が今いる場所だ。



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