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ぼくの時間

日曜日のあさ。ツクツクボウシはまだ鳴いていません。遠くで草刈り機がひびき、バスの通り過ぎる音がきこえます。気持ちのいい朝です。

三月ほどのあいだ、自分の部屋の片づけをしています。
いつのころからか、貯めこんだ本と、いろいろな人生の雑貨たち。それをみていると懐かしいやら、あほらしいやら(笑)。それでもそのあほらしい自分が好きになる瞬間があるのです。そのときぼくが必要としたものが、その瞬間ぼくに幸せな時間をくれたのはまちがいありません。ありがとう「あほらしいものたち」。

ものたちが旅立っていくと、そのものたちがいた空間がぽっかりひらきます。もうなにがいたのかわからなくなるということは、いまはもう必要なくなったということでしょう。記憶の玉手箱のなかにはしっかりとしまい込まれています。引き出そうと思って出てくるものではないのですが(笑)

自分の時間は明らかにすぎていったのです。
そのとき、その時間の中でぼく自身が必要としていたことを精一杯やりきったのだと思いこみたいのです。自分のための「幸せの時限爆弾」とだれかが書いていましたが、まさしく「それ」ですね。かならず役に立って、幸せを感じる時がくるのでしょう。

窓をひらくことができました。
こんなにひかりがはいってくるのだということを長い間忘れていたのかもしれません。それでも時間がくるとその時限爆弾がはじけるときがきます。
そう、玉手箱をひらくように。

いま、夏籠りをおえて、またここにもどってきました。
つぎの旅はもうはじまっています。スイッチを押してしまいましたから。
間違いがなければ、時間がきたら発火します。

「ぼくの時間」がやってくるころに。

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