見出し画像

withコロナ時代のおでかけ ~刑場跡に行ってみた~

私には盛岡と東京、ふたつの家がある。
このコロナ禍で気軽に行き来もできなくなったが、東京には夫がいるので、先の三連休を含めた数日間は東京の家で過ごした。


withコロナ時代の今でも、岩手で「東京行ってきました」なんて言ったら村八分だが、結局、個人がどれだけ感染予防策を徹底しているかに尽きると考える。
夫はコロナ騒ぎが始まった3月から完全リモートワークで、会食どころか私以外誰とも会わない生活。マンションのエレベーターは先客がいれば譲り、他の住人と一緒にならないようにしているし、移動は基本、徒歩か自転車。電車にどうしても乗らなくてはいけないときは、人が少ない時間帯と車両を選び、ソーシャルディスタンスを確保して、座らない、掴まらない、寄りかからない。消毒液と除菌シートを常にポケットに入れ、スーパーなど外出先では事あるごとにシュッシュ!!っとやっている。外食気分のときはテイクアウトで家食。外でマスクを取ることは徹底的に避けている。

ふたりの休日の外出先も「人が少ないところ」が第一条件。第二に「できるだけ公共交通機関を使わなくて済むところ」、第三に「公衆トイレを使いたくないから家にすぐ帰れるところ」。これが東京だと難しい。
「公園」と名がついている場所は大小関わらず人で溢れかえっている。


そこで、ふと浮かんだのが鈴ヶ森。
鈴ヶ森は江戸の刑場として、歌舞伎にもよく出てくる有名な場所で、いつか行ってみたいと思っていた。さすがに賑わっているとも考えにくく、自転車なら行ける距離。夫も快諾してくれたので、一路、旧東海道を西へ。

人が3人も横に寝たら埋まってしまうくらいのこんな細い通りを、参勤交代の行列が行き来していたのかと思いながら自転車を走らせる。
下町の景色が長く続く通りをしばらく走った左手に「区立鈴ヶ森中学校」が出現。えーっ!!処刑場の名前を冠する中学校があるのか、と驚いているとすぐ右手が開けて石碑がどん!と現れた。すぐにはここがかの有名な鈴ヶ森刑場だとは気づかず。

荒涼とした厳かな雰囲気を予想していたが、少年野球の集合場所となっているようで、ユニホーム姿の少年たちがおしゃべりしながら磔台の横で時間を待ち、その奥を乳母車を押した若い女性がのんびりと歩いていく。もともと五反歩あったそうだが、今は一反歩ほど?こじんまりとしている。
地域密着型の処刑場というか…とにかくのどか。


画像1

火炎台と磔台。罪人を縛りつけた柱を立てることに使われたもの。

『生きたまま焼き殺された』
『縛りつけて刺殺したのである』

など、立看板の解説は凄烈な表現でかつての鈴ヶ森を思い起こさせる。
ここで、10万とも20万ともいわれる人間が処刑されたのだと思うと、胸になんともいえないザラザラとしたものがこみあげた。


画像2

墨書きで「パンフ200円」
「パンフレット」でなく「パンフ」。脱力系のセンスがなんとも好ましい。線香の箱は空っぽであったためパンフのみ購入。線香着火用にカセットコンロを準備してくれている。

画像3


こちらがパンフ。
200円にしては、厚紙で立派なつくり。読み応えもしっかり。コスパいい。

パンフには、事件が迷宮入りしそうなときにお上に無実の罪で犯人に仕立て上げられ殺されたのが、鈴ヶ森の受刑者の全体の4割ほどいた、と書かれていた。


刑事裁判の傍聴が好きなのも、刑場に足が向くのも、人間の愚かさ、哀しさ、残酷さ、気高さなど、究極のものが詰まっているからなのかもしれないと感じた。
そこには、必ず自分に通じるものがある。



手を合わせて鈴ヶ森を後にし、夫のナビに従うがまま、向かった先には…

画像4

ドクターイエロー!!!!
片ちゃん(片岡理知裁判官)、見てますか。あなたなら、どんなに熱っぽく仔細にこの場所について、ドクターイエローについて、語ってくれるでしょうか。



その後、五反田のいし井でラーメンをテイクアウトし帰宅。テイクアウトで麺が伸びてもスープがおいしいから満足できる。

画像5


東京は、犬も歩けば歴史にあたる、というかんじで、商業施設や公園に行かなくても、街を少し歩けばどこにでも奥深い歴史がゴロゴロしているという点、テイクアウトが充実しているという点において優れている。

盛岡はやっぱり、帰ってきたときに雪化粧した岩手山が本当にきれいだった。空気も水もとてもおいしい。

人に会わなくても楽しめる方法はいろいろあるけど、やはりその土地だからこそ楽しめることがあるから、移動はなくならないのかもしれない。




ちなみに、盛岡にも南部藩の刑場跡はあるみたい。こんなありがたい解説を発見。


初冬、訪れて静かに人間という存在を考えるのもいいのでは。




コメントにはお答えしませんので、ご了承ください。