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青少年期とインターネットと危険性~ゲーム版lainの感想を添えて

 こんにちは、Bodayboと申します。ゲーム版のlainをとりあえず一周クリアしたので、忘れない内に感想等をここに書き記します。

 アニメはサイバーパンク色が強くてしゃれてんな~という印象でしたが、ゲームはまず気持ち悪い、次にあっさりしてんなぁという印象。
ただその不快感は蓋をしているから現実では気にならないだけだぞ、とlainが訴えてくるようで、リアリティというか共感できるのはゲーム版かなぁと思いましたね。私はゲームの方が好きです。

 ゲーム版lainは、主人公の「岩倉玲音」が精神科の「柊子先生」と共に幻覚の治療を行っていくというストーリー。初めはごく普通のコミュニケーションを重ねる二人でしたが、玲音の両親が離婚した辺りから何かが崩れ始める。一人になりインターネットでコミュニケーションを求める玲音と、彼氏に振られた柊子の行き着く先は・・・

 本作がいわゆる「鬱ゲー」認定されている理由は、やはりごく普通の二人に起こった出来事、という点でしょう。前半の日常パートでは特になんてことない会話が繰り返されるのですが、lainが学校に行かずにインターネットにのめり込み始めたのを境に何かが崩れていきます。
 そして両親が離婚してもなお、優しい父を思い続けたlainは父を作ることを考えます。
本当にこのパートが気味悪くて、機械を寄せ集めた上半身が動くムービーではとてつもない不快感を覚えましたね。

 本作をプレイした人間は、まず「どうすれば彼女を救うことが出来たのか?」と考える筈です。一枚目のディスクではなんてことない不登校少女だったのが、二枚目では柊子先生が好きすぎるメンヘラ少女と化します。
 本作で本当に関心したのは「仕方ない」と思わせることです。

 初めから幻覚が見えなかったにしても学校では孤独だったし、両親の離婚も彼女にはどうすることできない。そんな彼女が「両親が離婚したのは自分のせいだ」と自己嫌悪に陥り、安息の地をインターネットに求めるのは自然な流れで、全く違和感を感じさせません。私がひきこもり体質の人間なので、共感出来るだけかもしれませんが・・・

 その後lainはネット上でもう一人の自分を創り出し、「必要なものは意思と存在、あとはただのデータ」と吐き捨て自殺します。
このシーンは人によって解釈が異なると思いますが、私は本当は現実で生きたかったのでは?と思いました。
 彼女は肉体は宿り木と表現していて、インターネットに意思と存在を抽出すれば現実の自分は存在している意味がない、と考えていますが、拳銃を口に突き当てるシーンでは歯が震えています。
 その震えは彼女の言う人間の生存本能からなる反射的な動作・恐怖なのかもしれませんが、はたして本当にそれだけなのだろうか?本当はごく普通の少女として、生き続けたかったのではないか?と考えました。

 現実でもlainのように、インターネットに通じたことにより攻撃性が高まってしまうケースは少なくないと思います。アニメ版で彼女はインターネットの住人から多くの情報を得ますが、それと同時に「自分は彼らに操られているのか?」と自問自答する描写があります。このケースに似ている界隈を私は知っていて、それは「ニコ生」です。

 私は中学生位からニコ生を見続けているのですが、同じく中学生の生主は完全にリスナーの玩具と化していました。何故突然そんなことを引っ張り出したかといえば、

TLに流れてきた上記ツイートの犯人が「しゅき」というかつての生主で、それがとてもlainのケースと似ていたからです。それにしても、本当に変わってませんね、彼。面白いし好きでしたけど。

 一昔前のニコ生、まだ中学生~高校生の顔出し荒らし配信が流行っていた頃・・・彼らの共通点は不登校、家がそこまで貧乏ではない、両親の仲が悪いor離婚をしている、という点。
lainも彼らも生活に困窮はしていませんが、心に大穴が開いている訳です。
私も内のその一人ですが、安全基地を求めてインターネットという大海原を航海するのはごく自然な流れで、こういうのって、どうすれば阻止出来るんでしょうかね?私は無理だと思いますが。

 「しゅき」の配信は発狂芸と荒らしがほどんどでしたが、彼の以外な特技にピアノ演奏があります。普段の彼からは想像もつかない丁寧な手つきで鍵盤を叩く彼を見ていると、どうしてこうなったんだ、と自分にも問いかけてしまいますね。あ、私はピアノ大して弾けませんよ・・・
 彼は学校でハブられてからニコ生に浸り初め、その後両親が離婚します。彼曰く母親は実家が金持ちらしく、犬を連れて出て行ったそう。

 これは私の憶測ですが、彼の母はピアノが上手で、息子にはそれなりの期待を抱いていた筈です。子供に期待を抱かない親の方が少数派だと思いますが、かといって期待通りに育たなかったからと父の元へ預けて逃げる母ってどうなんでしょうね。因みに私の母も弟がもう少し大きくなったら出ていこうと考えているそうです。そうなったら私はどうなっちゃうんですかね?週3以上は働けない私でも、アパートって借りられるもんなんですかね?

 私と似たような種族の人間ならば、媒体は違えど必ず中学時にインターネットを荒らしまわったことがある筈です。
そもそも「青少年期」は誰しも柔軟が故に危険な時期で、一昔前はネットが薬やゲーセンだったんでしょうね、知りませんけど。
 
 どうすればlainを救えたのか、と色々考えてはみたものの、答えはよくわかりませんでした。
愛着障害が原因だとしても両親ガチャに左右せざるを得ないですし、コモンでも必死に両親のご機嫌を取り続けなんとか関係を築いても、大きくなってから心を壊すケースもあるので変えられないものは諦めるのが一番なんでしょうね。

 インターネットに接続しない、という選択も現代では非現実的に思えますし、不安定な彼らを誘惑する大人も大人でニートだったりと色々問題を抱えている訳で、結局lainのような、人の不幸を本人以上に感じ取ってしまうような神経質な人間は、インターネットという無差別に干渉する存在が飛び交う世界には触れないのが一番なんでしょうか。よくわかりませんね、。

 「16歳の合衆国」という映画では、まさにそんな神経質な青年をライアン・ゴズリングが演じているのですが(めっちゃ若い)、彼は彼女の障害を抱える弟を殺します。
 彼はその弟を家まで送ってやったりと仲はむしろ良い方でしたが、誰かの手を借りないと生きていくことができない彼の顔を見るととてつもない悲しみを感じ取ってしまい、「彼は死んでしまった方が幸せなのでは?」という考えと、「自分の感情に負の干渉をして来る彼は邪魔」という考え(これは潜在的な防衛本能でもあると思われる)から、殺人に至る訳です。

 映画としては、その後刑務所の学校のような場所で出会った先生と対話を重ねるといった内容ですが、正直あまり面白くはなかったですね。
しかし、彼の神経質なキャラクターはとても印象深くて、シャバの世界では彼女の心が壊れるという、これも今思えばlainに構図は似ているなぁと。トリガーとなってしまった本人と、巻き込まれた周囲の人々の物語。

 引き籠って生きていけるのであれば干渉される心配もないですが、それも難しい話ですよね。フリーランスの方って、一体何で稼いでいるんですか?私は意識が低い話をしたいんですけど、やっぱりプログラミングとかデザイン勉強してるんですかねみなさんは?生き延びてる訳ですよね?一様は?

 このnoteを書いていて面白いと思ったのが、奇を衒った作品でも共通点を洗い出していけば類似している作品はそこそこ見つかりますし、オリジナリティなんてものは存在しないって話は本当だったんだな~と実感したことですね。先駆者は存在しても真似されないとは限りませんからね。
多分それって、同じ現実で生活しているからなんでしょうね、知りませんけど。
 そう考えれば私も創作の一つや二つは完走出来そうな気もしますが、最近は睡眠サイクルがバグって自律神経がイカれて泣いてるので、逆かもしれませんけど、また今度にします。ばいばい

冴えないオタクに幸を