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仏教の空(くう)の概念をAKB48で理解する@2023/2/25

どうも!おっさんです。

最近、私、採用活動なんかもしてまして、その際、どういう観点で人を探しているかというと、その人にとって、うちの会社がちょうどいいな、って思えるような人を探しています。良過ぎる人は居なくなるからです。

ある人にとって、ある組織がちょうどいい、という例として、私は、AKB48の前田敦子のことを思い出します。この人は、AKB48の初期メンバーで、ずっとNo.1だった人です。最初は選挙とか経由せず、秋元さんの指名でセンターになっただけの、棚ぼた式だったのですが、それが選挙導入後もずっと固定化してNo.1だったという人です。

そんなにずっとNo.1だったら、AKB48なんていう枠を実は飛びぬけていて、AKB48の外でやることがいっぱいある!と思ったのかどうかは知らないですが、前田敦子は卒業してしまいます。しかし、卒業後は、特にこれといった目立った成果もなく、フェードアウトしていってしまいました。

これは、つまり、前田敦子という人は、AKB48に居たから良かったわけで、そこを出てしまったら、ただの人になった、ということです。AKB48に居たからちょうど良かったのです。会社でもこういう話、よくありますよね。会社では、役職が高かったから、色んな人に相談されたりとか頼りにされていて、でも、引退して、ずっと家に居たら、ただのぐうたらなおっさんであるということです。

つまり、前田敦子という存在そのものに絶対的な価値があったわけではなく、前田敦子以外の47人の存在によって、それとの比較、関わりによって、前田敦子の価値が生み出されていたわけです。

会社で偉かった人も、その他大勢の偉くない人たちとの比較で、価値を持っていたということです。

つまりは、前田敦子も、会社のエライ人も、その実体は無い、これがすなわち、空(くう)であるということです。その周辺の他の事物との間で構成された網目状の連関(ネットワーク)によって、その価値が規定されていたということです。

以上。

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