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26_「わたしニーファイは…弓と矢、石投げと石で身を固め、『食糧を得るのにどこへ行ったらよいですか』と父に尋ねた。」(1ニーファイ16:23 )

リーハイとその家族は、降り注ぐ灼熱の太陽の下、疲労や渇きに苦しみながら旅を続けていました。また、彼らは便宜上多くの荷物を持つことが出来なかったので、「道々、食料にする獲物を…とりながら…旅をし」ました。そのため狩りがうまくいかず、獲物がとれない時には飢えに苦しんだのです。 

彼らは主に弓を使って獲物をとっていましたので弓は彼らの命を支えるとても大切な道具でした。ところが、ある日、その大切な弓を折ってしまったのです。多くの苦難に満ちた旅を続けてきた一行は非常に落胆しました。折れた弓を目の前にして、脳裏には今までの苦労が次々とよみがえり、この先、自分たちはどうなるのかという不安にもさいなまされ、悲しみが込み上げてきたことでしょう。 

また、彼らにとってこの出来事は、死をもたらす最後の災いにも思えたことでしょう。この困難な事態にあって家族のものは当然のように不平不満を言い出しました。また、この時、それまで一行を導いてきた父親のリーハイさえも不平の言葉をもらしたのです。リーハイは既に歳をとっており、過酷な苦難続きの旅には肉体的、精神的に耐えられない状態にありました。一方、ニーファイは、これまでの経緯から父リーハイの跡継ぎとして既に認められ、神様からも油注がれ、信仰の揺らいだ父に代わって指導者となる時がきていました。しかし、彼は木で弓と矢を作り、石投げと石で身を固めると「食糧を得るのにどこへ行ったらよいですか」と父親に尋ねたのです。ニーファイの心の中にはこのような思いがあったのではないでしょうか。「お父さん、あなたは神の預言者です。神様から導きを受けることができる人です。わたしたち家族の大黒柱です。どこへ行って食糧をとればいいのか知りたいのですが、神様に尋ねて下さいませんか。あなたにはそれができるはずです。」 

ニーファイは、この時、自分でひざまずいて神様に尋ね、父親に代わって家族を救うこともできました。しかし、ニーファイはあえてそれをしませんでした。思慮ある信頼が相手を築くということを知っていたからです。この謙遜な思慮ある息子のおかげで、父リーハイは再び力を取り戻し、立ち直って家族を正しく導き、食糧を手にいれ家族の中に喜びを満たすことができたのです。 

ドイツを代表する文豪のゲーテも次のように語っています。

「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままであろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくであろう。」

(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ードイツの詩人・小説家・劇作家、1749~1832)

*わたしたちも誰かが、期待や希望通りの言動をとらないからといって批判するのではなく、ニーファイのようにその人への信頼を伝え、その人自身が自分で気づいてあるべき姿に近づけるように助けられるといいですね。

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